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ラジャスタンを行く(4)~ ジョードプルの温もり

 ジョードプルに来てからまだ数日しか経っていないのに,日に日に気温が上がっていくのが分かる。昨日は日中の気温が41℃まで上がったらしい。空気が極度に乾燥しているので実際には数字ほど暑く感じることはないけれど,それでも日中は部屋でおとなしくしていることが多い。出かけるのは早朝か夕方だ。

 ジョードプルの素晴らしいところは,メヘラーンガル砦だけではなく街自体も魅力に溢れていることだ。そしてその魅力というのは,街並みではなくてそこに暮らす人々が作り出しているものなのだ。朝に夕に街へ出ては歩き回り,そのたびに僕はこの街に魅了されてしまう。


 朝,日の出を迎えた街では,爽やかな空気の中に人々の日常の生活が始まる。
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 この街は建物が密集していて,その隙間を縫うように細く入り組んだ小道が通っている。これらの道はやがて,街の中心部である時計塔に至る。

 時計塔の周辺は広場になっていて,細い路地からは見えないメヘラーンガル砦もここからならよく見える。
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 時計塔の周りを歩き回っていると,鍛冶屋を見つけた。朝もまだ早い時間なのに,もう仕事を始めていた。僕が興味津々で見ていると,こっちへ来いと手招きする。寄っていっても別に何を話しかけてくるでもなくまた仕事を始める。近くでよく見ろと親切に言ってくれていたのだった。
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 カメラを出して写真を撮ってもいいかと聞いても,嫌がるそぶりも見せず黙々と仕事を続ける。これがデリーだと写真を撮ったらチップを請求されるのがオチだけどな,と思いながら写真を数枚撮らせてもらった。もちろんチップなんて言ってこない。ありがとう。そうお礼を言ってその場を立ち去った。



 この時計塔広場は,日中になるとバザール会場に姿を変える。八百屋,スパイス屋,衣服屋,雑貨屋など多くの店が出て,そこに多くの人々が集まってくる。活気に満ちた広場は,また同時にさまざまな色に溢れてもいる。色とりどりの野菜や果物,スパイス,布地,そして様々な色の衣装に身を包んだ女性たち。強烈な陽光の下で,これら色とりどりの原色が街を彩る。
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 ここジョードプルでは,今までインドで経験したことのないような人々の穏やかさに触れることができる。
 例えば,道を歩いているとリクシャーのドライバーが声をかけてくる。リクシャーに乗らないか。僕がいや,いいよと答えると,そうかい,と言ってもう向こうへ行ってしまう。あたりまえの会話だけれど,このあたりまえがデリーにはない。
 また道を歩いていると,今度は通りで若い男が近づいてくる。コニチハ,オゲンキデスカ,と日本語で話しかけてきた。インドでは日本語で向こうから話しかけてくる人間は相手にしてはいけないと相場が決まっている。警戒しながら,こんにちは,と返すと,それ以上は何も言わずに立ち去っていった。単に日本人に日本語で話し掛けたかっただけなのだ。こんな純朴な人間がインドにいたのか!
 他にも数え上げればきりがない。ジョードプルの人々の素朴な温もりは,僕のインドに対する認識を一変させてしまった。こんなに素晴らしい街があるのなら,何回だってインドに来たい。


 ジョードプルには子供が多い。道端で遊んでいたり,親に怒られていたり,友達同士でけんかしていたりする子供たちの表情は純粋だ。僕のような「先進国」から来た旅行者には,その表情が心に染みとおってくる。こうして,僕の心はますます深くジョードプルの街に取り込まれていくのだ。
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by Asirope2 | 2007-03-30 21:54 | インド

ラジャスタンを行く(3)~ ブルーシティ

 ジャイプールを午後3時に出発した列車はラジャスタンの大地を西に走り続けた。エアコンなし車両の窓は開け放たれており,空気が極度に乾燥しているのですぐに喉が渇く。ミネラルウォーターを飲み尽くさないようにするため,何度もチャイを買って飲む。すぐに車内のチャイ売りの少年に顔を覚えられてしまった。いたずら顔で僕をからかってくる。もう一杯どう? 次は二杯飲む?

 日が沈んでも列車は走り続け,ようやく午後10時過ぎにジョードプルの駅に到着した。ガイドブックから良さそうな安宿のあたりをつけ,駅から電話する。今夜は満室だけど,ベッドだけなら準備する,明日になればちゃんとした部屋に入れるけどそれでいいか。宿の人はそう言ってきた。こっちは疲れているのでとりあえず今夜は寝られればいい。OK,今から行くよ,と言って電話を切り,リクシャーに乗って宿へと向かった。

 宿へ着くと,親切な女主人が出迎えてくれた。ごめんね,今日は満室なのよ。そういって彼女が僕にあてがってくれたベッドというのは,なんと宿の屋上のテラスにマットレスをひいたものだった。すこし驚いたけど,特に寒くもなかったのでこれも面白いかもしれない。野外で星を見ながら眠りにつくのもいいだろう,そう思ってOKした。

 即席ベッドを整えてもらい,荷物を鍵の掛かる小部屋に預けると,改めて周囲を見渡してみた。夜なのではっきりとは分からないけれど,この街の美しさを充分に予感させる夜景が広がっていた。
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 女主人は明るくて面倒見のいい人だった。しばらく屋上のテラスで別の日本人宿泊客とチェスをしたり陽気に色々な話をした後,おやすみと言って下へ降りていった。僕も疲れていたので,顔を洗ってその晩はすぐに寝た。


 翌朝は日の光で目が覚めた。その明るい日差しに照らされた周囲の景色を見て思わず声を上げた。宿の真上の丘に,さらに高く巨大な砦の城壁がそびえていたのだ。
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 ジョードプルはジャイプールから更に西へ300kmほどのところにある街だ。街の中心の丘の上には,メヘラーンガル砦という巨大な城塞が聳え立っている。今回選んだ宿は,この砦の真下にあった。気候はやはり乾燥しており,ジャイプールよりかなり暑い。日差しも強く,午後の暑い時間は動き回る気になれないほどだ。
 この街の旧市街では青く塗られた建物が非常に多く,別名「ブルーシティ」と呼ばれている。肌を焼くような日差しの中で,青い家々は涼しげに見える。実際,青い壁の色は夏の暑さを多少なりとも和らげるための生活の知恵なのだそうだ。
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 このジョードプルのシンボルはやはりメヘラーンガル砦だ。下から見上げても充分に大きなこの砦は,実際にその門をくぐってみると想像以上に巨大だった。中世そのままの石造りの建物が,圧倒的な大きさと存在感で訪れる者を出迎える。
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 内部には数多くの中庭とそれを巡る回廊があり,そのどれもが大きい上に美しく装飾されている。
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 この巨大な一群の建物は,その壁一面に精緻な透かし彫りが施されている。これが本当にきれいだ。さらにこの透かし彫りは機能的にも優れていて,建物の内部からは外が見える反面,外からは中が見えない。さらにこの暑い気候の中で日差しをさえぎり,しかも風は通す。非常によくできている。
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 城壁に登ると「ブルーシティ」ジョードプルの街並みが眼下に広がる。歴代のマハラジャが,この砦から代々この地を治めてきたのだ。何という美しい街だろう。
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 このメヘラーンガル砦から15分ほど歩いたところに,ジャスワン・タダという墓廟が建っている。火葬場や廟などがあり,王族が亡くなるとここに埋葬されたらしい。晴れ渡った青空に,抜けるように白い大理石が美しく映える。メヘラーンガルといいこのジャスワン・タダといい,どうしてここジョードプルにこれほど素晴らしい建築が集中しているのか。
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 ジャスワン・タダの周囲には,ぐるっと城壁が廻らされている。
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 ここジョードプルの地は,乾燥してはいても決して不毛の地ではない。城壁で囲ってでも守るべきものがあるのだ。ラージプート族の人々は,ここに驚くほど豊かな文化を築き上げている。
 壮大にして華麗,雄渾にして繊細なメヘラーンガルと,混じりっけのない乳白色のジャスワン・タダ。僕はこの二つを自分の目で実際に見て,圧倒されてしまい言葉が出なかった。反論を恐れずに言えば,メヘラーンガル砦の建築はあのタージ・マハルをはるかに凌ぐ。ラジャスタンの真髄が,ここにあるのではないか。


 翌朝はやく,もう一度ジャスワン・タダに行ってみた。ちょうど日が昇るところで,朝日に向かってお祈りをしている人もいた。
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 ここからはメヘラーンガルの砦もよく見える。朝日に照らされたその姿は荘厳だ。今日もまた,透かし彫りの窓から中に光が差し込んでいるのだろう。
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 完全にラジャスタンの魅力に取り付かれてしまったことを,僕は認めないわけにはいかない。
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by Asirope2 | 2007-03-29 15:41 | インド

ラジャスタンを行く(2)~ マハラジャの丘

 ジャンタル・マンタルを見に行った翌朝,目が覚めるとお腹の調子が悪かった。食あたりだか水あたりだか,理由は分からないけど調子を崩したようだ。東南アジアでは無敵を誇る僕のお腹もインドでは1週間を待たずしてあっけなく陥落。世界は広い。とりあえず整腸剤を飲んで様子を見ることにした。


 午前中ゆっくりしたあとは,この日も前日に引き続いてジャイプールを観光することにした。今度は市街地ではなく,街はずれの丘が目的地。ここにはかつてのマハラジャのお城,アンベール城がある。旧市街の中心部から混んだバスで30分,目指すアンベール城が見えてきた。
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 アンベール城を中心とする一帯は,16世紀にはこの地方を治めた王国の首都だったという。アンベール城はその王宮だった。壮麗な門をくぐると,美しい庭園や華麗な装飾の施された建築物が待っていた。
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 鏡の間とも呼ばれるこの場所は,細かいモザイク紋様に小さな鏡が使われ,とても美しい。
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 柱列に差す光とそこから生まれる影が,規則正しい模様を描く。
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 このアンベール城からさらに丘を登ると,ジャイガール要塞という古い砦がある。坂道は長く,登り切るのに20分ほどかかる。道を登るにつれて,次第に砦の姿が大きくなってくる。息が上がるのを整えながらゆっくり登る。
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 ここからの眺めは素晴らしかった。アンベール城が下方に見え,その向こうには遥かにラジャスタンの大地が広がる。その大地に,いくつもの台地状の丘が並ぶ。
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 視線を反対側に転じると,やはり広大なラジャスタンの台地にいくつもの丘が連なり,その間に遠くジャイプールの街が霞の中に溶け込んでいく。遥かに広がるその景色は美しかった。やるな,ラジャスタン。
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 アンベール城は人が多く,しかも大音量で音楽が鳴らされていてとても騒がしかった。それに比べるとこのジャイガール要塞は,長い上り坂があるためか人も少なく,静かで落ち着いた雰囲気だった。この静かな砦から,僕はもの思いに耽りながらラジャスタンの大地を眺めていた。

 極度に乾いた土地ながら,そこに豊かな文化を開花させたラジャスタンのインド人たちに敬意を覚えた。
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by Asirope2 | 2007-03-27 15:57 | インド

ラジャスタンを行く(1)~ ピンクシティ

 デリーに数日滞在した後,ジャイプールという街に移動した。ジャイプールはデリーの南西方に位置するラジャスタン州の州都だ。ラジャスタンは大部分が砂漠地帯で,暑期の暑さは大変なものだという。行くなら暑期を目前にした今しかない。
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 デリーからジャイプールまで列車で5時間ほどだった。州都だけあって街は大きく賑やかだけれど,デリーに比べればやはり少し田舎といった感じだ。街は新市街と旧市街からなっていて,観光名所は旧市街に集中している。街自体も,旧市街のほうがはるかに人も車も多い。

 このジャイプールは別名「ピンクシティー」と呼ばれている。その理由は旧市街に行くとよくわかる。建物の色が全てピンク色に統一されているのだ。実際にはピンクというよりレンガ色という方が近いと思うけど,なかなか印象的な街並だ。
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 旧市街の交通量の多さは半端ではなく,けたたましく鳴り響くクラクションがものすごくやかましい。僕はいつものようにこの街を歩き回ったけれど,あまりのやかましさにかなり疲れてしまった。
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 このジャイプールには,デリーで見たのと同じ由来を持つ天文台ジャンタル・マンタルがある。ただし規模はこのジャイプールのものがインド最大で,デリーのものよりかなり大きい。実はデリーでジャンタル・マンタルを見たのは,ここジャイプールに来るための予習だった。
 デリーで見たのと同じような観測儀がたくさんあるけれど,こちらの方が一つひとつが大きく,観光客も遥かに多い。
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 巨大な日時計もあり,その高さは27.4メートルに達するという。ここまで大きいと,日時計として2秒単位まで計測できるらしい。
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 近くの高所から見ても,大きくてよく目立つ。
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 このジャンタル・マンタルの近くには今もマハラジャが暮らすという宮殿がある。一部が観光客に開放されているというので行ってみた。確かに巨大な宮殿だった。
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 この銀の壷は,かつてマハラジャがイギリス旅行に行く際に,沐浴用にガンジス河の水を運ぶのに使われたという。世界最大の銀製品としてギネスにも載っている,とガイドブックに書いている。
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 警備のおじさんたちは自分から壷の両脇に並んで写真を撮れと言ってきた。今ひとつポーズが決まりきらないのはご愛嬌。もちろん,写真を撮ったあとにチップを請求されたのは言うまでもない。
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by Asirope2 | 2007-03-27 15:31 | インド

さわやかデリー(その2)

 コンノートプレイスから少し歩くと,ジャンタル・マンタルという名前の場所がある。ここは300年近く前に作られた天文台だという。当時のジャイプル王,ジャン・スィン2世は天文学マニアで,インド各地に大きな天文台を作った,とガイドブックには書いてある。近代的なビルが建ち並ぶ中に静かにたたずむ古い天文台。
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 ここには大きな観測機器がたくさん並んでいるけれど,どんな目的でどう使われたのかは僕にはいまいちよく分からない。
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 観光客の姿はあまりなく,むしろ地元の人たちが憩いの場としているようだった。都会の中のオアシス,といった穏やかな空気に包まれていた。
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 ここでしばらく時間を過ごしたあと,僕はまた歩き始めた。次の目的地はインド門。普通ならとても歩いていくような距離ではないけれど,今日は本当に過ごしやすい涼しい日だったので,特に急ぐでもなくぶらぶらと歩くことにした。
 歩いていると,途中の並木にリスがいた。
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 このあたりはビジネス街のようで,道を歩いていてもそれほどうるさくない。さすがに一国の首都の落ち着きがあった。

 やがて30分ほど歩くと,ようやく目指すインド門にたどり着いた。
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 これは大きい。インドは第一次世界大戦の際にイギリスに協力して出兵したという。その戦没者への慰霊碑なのだそうだ。ちなみにこのときの出兵は戦後の独立を条件としていたが,結局イギリスはその約束を反故にしたという。インドの首都に残る,近代史の証人だ。
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 このインド門の周辺は公園として整備されていて,ここでも多くのインド人が思い思いに過ごしていた。
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 ちなみにこのインド門とそこからの帰り道は,さわやかとは言い難いインド的な洗礼が待っていた。
 インド門でしばらく立ち止まって写真を撮ったりしていると,一人の年配の女性が話しかけてきた。入場料の100ルピー(300円弱)をよこせという。そのときは何も考えずに払ってしまったけど,実はデリー門一帯は普通の公園になっていて,入場料なんか必要なかったのだった。
 腹が立つという以前に,これはもう気を抜いていた僕が悪かった。インドでは自分の身(とお金)は自分で守らないといけないのだ。今後のインドの旅で不要な出費をなくすための授業料と思うことにして,気を引き締めなおした。

 そのデリー門からの帰り道は,さすがに歩き疲れていたのでリクシャーを使うことにした。近くにいたリクシャーの運ちゃんにパハールガンジまでの値段を聞くと,80ルピーとやたら吹っかけてくる。相場は30ルピーくらいだと思うのだけど,値切っても70ルピーにしかならない。もういいやと面倒になって乗り込んだ。

 この運ちゃん,顔つきが胡散臭いので好きになれず,どこから来たとかインドは好きかと聞いてくるのを適当に答えていた。そのうち,ほんの10メートルほど走ったところで運ちゃんが車を停めた。運転席から体をこっちに向けて話しかけてくる。
 さては“お得な”ショッピングのお誘いか,と身構えた。紹介手数料を払ってくれる店に客を連れて行く,というのはよく聞く話だ。当然客のほうは法外な値段でみやげ物を買わされることになる。価格の40%が紹介手数料になる,と聞いたこともある。
 運ちゃんは口を開くとこう言った。「俺はお前をパハールガンジまで70ルピーという安い値段で連れて行ってやる。そのかわりと言っては何だが,ショッピングセンターに行かないか?」

 ショッピングセンター,という単語を聞いた瞬間に,僕はリクシャーから降りた。これは腹が立ったというより,あまりにも予想通りだったのでむしろ可笑しかった。ただ,いくら可笑しくても彼のために高い買い物をする義理はない。
 たまたまそのとき近くをリクシャーが通りかかった。パハールガンジまでいくら,と聞くと40ルピーだという。OK,と値切りもせずに飛び乗った。ちなみに吹っかけてきたほうのリクシャーには1ルピーも払っていない。別に追いかけても来なかったところを見ると,普段から紹介手数料のほうでたくさん稼いでいるのだろう。

 インド門からの帰り道は,気温はさわやかでも空気は埃っぽく,あまり目を開けていられない。景色を楽しむこともなく,あっという間に騒がしいパハールガンジに戻ってきたのだった。
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by Asirope2 | 2007-03-25 13:37 | インド

さわやかデリー(その1)

 今の季節のデリーは旅行に一番いい時期かもしれない。朝晩は20℃そこそこまで気温が下がるけど,寒いというほどでもない。日中は30℃前後で,日差しが当たると暑いとはいえ,そよ風が吹くと快適だ。インドというと年中暑いと思っている人も多いと思うけど,今の時期のバンコクやプーケットに比べれば,はるかに過ごしやすい。

 ただしそんなデリーももうすぐ暑期に入るという。一番暑いときで気温は40℃を超えるというから,「さわやか」なんて言っていられるのも今のうちだ。


 そんなデリーの中で,僕がいま滞在しているのはニューデリー鉄道駅に近いメイン・バザール(現地語ではパハール・ガンジと呼ぶ)というところだ。雑貨屋,服屋,薬局,食堂など,いろんな店がひしめき合い,そこを多くの人と自転車とリクシャーが埋め尽くすようにうごめいている。大声で話す人の声やリクシャーのクラクションなど,喧騒に満ちていてかなりうるさい。
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 でもここは旅行者の間ではインドを代表する安宿街として知られていて,様々な商店に混じってたくさんの安宿が軒を連ねる。僕の泊まっている宿は,下の写真のように非常に細い通りの奥にある。
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 パハールガンジにあるのは店だけではない。荷車でバナナを売っていたり,オレンジを絞ってジュースにして売っていたりもする。夜になると食べ物の屋台も多く出る。
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 もちろんインドの定番,野良牛もたくさんいる。決して広いとは言えないパハールガンジのメインロードで,ときに群れになって渋滞を引き起こしたりする。
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 インドの移動手段で一番ポピュラーなのはリクシャーだろう。もともとは本当に人力車で人が引いていたらしいけど,今は自転車かオート三輪に客席を取り付けたものしかない(ただしカルカッタに行けば昔ながらの人力車があるらしい)。自転車のほうはサイクルリクシャー,オート三輪のほうはオートリクシャー,という。僕は長距離ならオートリクシャー,短距離ならサイクルリクシャーを使うことが多い。
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 このリクシャー,パハールガンジの狭い路地にたくさんたむろしていて,道行く旅行者を見かけると声をかける。それがうっとおしいこともあるけど,本当に必要なときは探さないで済むので便利でもある。

 でも今日はせっかくの「さわやかな」デリーをゆっくり眺めるため,リクシャーには乗らずに歩き始めた。

 パハールガンジから10分ほど歩くと,ニューデリーの中心地コンノート・プレイスに出る。ここは環状に建物が建ち並んでいる場所で,ちょっと高級な(あるいは本当に高級な)レストランや商店がたくさんある。パハールガンジの喧騒に比べると,かなり落ち着いた感じだ。
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 ここには芝生の公園のような場所もあり,いろんな人がそこで思いおもいに過ごしている。
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 僕はこのコンノート・プレイスを抜けて更に歩き続けた。
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by Asirope2 | 2007-03-25 13:29 | インド

渡印

 バンコク発デリー行きのエアインディアAI309便は予定を1時間以上遅れて,既に日が沈んで夕闇に包まれたバンコクの空港を飛び立ち,4時間余りのフライトの後に無事デリーの空港に着陸した。
 そしてその飛行機に乗ることにしていた僕は,今度こそちゃんと飛行機の中にいた。


 インド行きのことを考えるといつも,頭の中を複雑な思いがよぎる。自分で選んだ行き先であるにもかかわらず,心の底からの喜びを感じるわけではなく,「なぜ自分はわざわざインドに行こうとしているのだろう?」と自問自答してしまう。
 去年の旅で,回数だけで言えばインドには3回入国している。でも滞在した街はわずかに3つ。デリーとアグラとバラナシだけ。滞在期間も計2週間ほどで,しかも初めのうちは街に出るのが辛くてホテルの部屋に引きこもり気味だったくらいだ。最後の方になって少し慣れた頃,ようやく周りが見えるようになってきた。
 だからまだまだ僕はインド初心者だ。インドの本当の面白さはこれから見つけていかないといけない。僕にとっては,インド行きは大きな挑戦なのだ。
 とはいえ今回のフライトに限っては,体調が回復して移動できるということ自体がとても嬉しかった。


 たいていの人にとって,飛行機での楽しみといえば機内食だろう。僕は去年,同じエアインディアのフライトで機内食を食べるときに,チキンかマトンを選べといわれて,チキンを選んだ。理由はチキンカレーを食べたかったからだけど,実はこのときはカレーはマトンを選ぶのが正解だった。チキンは和風のおかずでがっかりした覚えがある。
 そのときのことを忘れずにいた僕は,今回チキンかラムを選べといわれて,すかさずラムを選んだ。この選択は見事に当たり,僕は今回晴れてインドカレーにありつくことができた。インドカレーなんてこれから毎日食べないといけないのに,一体自分が何に執着しているのかと我ながら可笑しかった。


 飛行機は順調に飛び続けた。雲の上を飛んでいた飛行機からは,星空がよく見えた。そのうち,窓の外を見ている僕の目の端に,遠くのほうで何かがチカチカと光っているのが見えたような気がした。
 最初は,飛行機の翼で点滅しているランプの光が雲に反射しているのかとおもった。でもよく見ていると点滅の間隔が不規則だ。目を凝らしているうちに,遠くのほうの稲光が見えているのだと気が付いた。
 始めのうちは遠くに見えた稲光だったけれど,しばらくするうちにどんどん近づいてきた。飛行機が雷雲の方に向かって飛んでいたのだ。

 雷雲に近づくにつれて,稲光は激しくなってきた。それだけではなく,光る間隔もどんどん短くなってきたようだった。やがて飛行機が雷雲の真上に来ると,窓の外には凄絶な光景が繰り広げられた。
 広い範囲の雷雲が強烈な稲妻の光に照らし出され,細かい形まではっきり見て取れる。と思うと一瞬の後にはまた闇が戻る。数秒の間もおかず,今度は別の場所が急に明るくなり,またすぐに闇に戻る。これが次々と繰り返される。

 視界の上半分には何事もないかのようにたくさんの星が輝き,下半分では繰り返し稲光が煌く。そして雷雲の隙間からは地上の街の明かりがちらちらと見え隠れする。夜の空で,3種類の全く異なる光で作られる光景は,恐ろしくも美しいものだった。


 やがて飛行機は雷雲を通り過ぎ,その後まもなくデリーの空港に到着した。空港からは去年と同じようにバスで安宿街まで移動。心配した雨は降っておらず,その上道中は渋滞もなくバスは快調に走る。深夜12時半頃に無事にある宿にチェックインした。

 こうしていよいよ,インドの旅が始まった。果たしてどんな旅になることやら。
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by Asirope2 | 2007-03-22 21:24 | インド

愉快なタイ人

 バンコクのイミグレーションオフィス(入国管理事務所)に行ってきた。風邪でインド行きフライトを延期したため,タイの滞在が延びてしまったからだ。日本人はビザなしでタイに入国できるけど,その場合の滞在期限は30日間。それを超えるときはイミグレーションオフィスで滞在延長手続きをしないといけない。僕の場合,今回のフライト延期で滞在期限を1日越えることになってしまった。

 イミグレーションオフィスに行くのは今回が初めてだ。事前に地図で場所を確認すると,僕はいつもの悪い癖でまた最寄り駅から適当に歩き始めた。オフィスは駅から意外と遠く,病み上がりの体で炎天下を20分くらい歩く羽目になってしまった。

 この滞在延長手続き,最大7日まで滞在期限を延ばすことができて手数料は1900バーツ(6500円くらい)だった。今回行ってみて初めて知ったのだけれど,手数料は日数に関わらず一律で,僕はたった一日のために高い手数料を払わなければならなかった。やっぱり何事も健康第一だ。

 ちなみに最初の窓口で手続きの申請用紙を2枚もらったので2枚とも記入したのに,申請窓口では1枚しか使わなかった。なぜだ?
 また,申請者は申請用紙とパスポートを提出したときに番号札をもらうのだけれど,その番号を呼び出すとき窓口のお姉さんは「サムシップホーック!(さんじゅうろくー!)」というふうにタイ語で叫んでいた。電光掲示板もあるからいいけど,ここの窓口に来るのはみんな外国人のはず。やっぱりタイだなあ。

 このお姉さんを見ていると,以前バンコクの空港にいたタイ人係官のことを思い出した。いやいやそれだけじゃない。タイの人ってときどき,というよりしょっちゅう,面白いことをやってくれる。それを芋づる式に次々と思い出した。


① タイ語が話せますか?

 去年末,5ヶ月間の旅を終えて僕はバンコクから日本に帰った。バンコクの空港で出国審査の列にならんだとき,僕は自分のパスポートで一点だけ心配していることがあった。1ヶ月ほど前にカンボジアからタイに入国したとき,国境の係官のおじさんが入国スタンプを2ヶ所に押してしまったのだ。
 通常はもちろん1つだけなのだけど,このときは僕の前にイミグレを通過した人が途中で戻ってきてそのおじさんに何か質問を始めた。おじさんはそれに気を取られて,ついさっき自分が押したスタンプの場所を見失ったらしい(当時僕のパスポートにはタイの出入国印がかなりたくさんあった)。しばらくパラパラとページをめくった後,やおら新しいスタンプを押してしまったのだった。

 その後のイミグレでこれを突っ込まれたら嫌だなと思っていたのだけれど,バンコク空港のイミグレのお姉さんはさすがに優秀で,これを目ざとく見つけてしまった。ただしこのお姉さん,英語はあまり得意でなかったらしい。これを英語でなんと質問するか,すぐには思い浮かばなかったようで,ちょっと考えた末に僕にこう言った。“Do you speak Thai? (あなた,タイ語は話せる?)”

 このブログを読んで,僕がタイ語をかなり話せるかのような印象を持っている方にはこの場を借りて謝らなければならない。僕のタイ語は,所詮あいさつに毛が生えた程度のものだ。このお姉さんが何を聞こうとしているかくらい僕にも察しがついていた。こんな質問,僕がタイ語で答えられるわけがない。そもそも,観光ビザで入国している旅行者の中で,これをタイ語で説明できる人がどれほどいるだろうか。
 しかしこのお姉さんは,そんなことお構いなしに自分の理解を最優先したのだった。

 結局このときは,「アランヤプラテート(国境地点の地名),イミグレーションスタッフ,2スタンプス」と幼稚園児のような英語に身振り手振りを交え,一生懸命説明した。お姉さんはしばらく2つの入国印を眺めてため息をつくと,他には何も言わずに出国印を押してくれた。
 この状況でこれ以上の説明のしようもなかったとはいえ,こんな説明にもなってない説明で通れていいのか?と拍子抜けしてしまった。

 ちなみにこのときのパスポートは帰国してから新しいものに更新したので,もう同じ心配をすることはない。また2つの入国印を押されない限りは。



② 明日の昼過ぎにはできるわ。

 今回のタイ滞在で,ピピ島からプーケットに移動したとき,Gパンやタオルケットなど,自分では洗いにくい大きな洗濯物をクリーニング屋に持っていった。クリーニング屋さんにいつ仕上がるか聞くと,「明日の昼過ぎにはできるわ」と笑顔で答えてくれた。じゃあお願い,といって洗濯物を預けてきた。
 その翌日,朝ごはんを食べに出たときにクリーニング屋の前を通ると店はもう開いていて,僕のGパンが干されていた。もうすぐだな。そう思って今度は昼過ぎに店に行くと,なんと店は閉まっていた。入り口横には“Closed”の札がかかっていた。

 昼ごはんでも食べているのかなと思って夕方に出直してみたけど,やっぱり閉まっている。そのときは短パンがあったし,別に急ぎでもないので翌朝受け取りに行くことにした。
 しかしその翌朝も,相変わらず店は閉まっていた。昼過ぎになってもClosedのまま。この日の翌日は確かタイの祝日のはずだ。一体いつになったら開くのだろうかとさすがに心配になってきた。

 ところが,その日の夕方遅くに店の前を通りかかると今度は開いている。この機を逃してはいつGパンを取り戻せるか分からない。なぜか“Closed”の札は掛かっていたけど,構わずその場で店に入って洗濯物を受け取った。店のおばちゃんも当たり前のように洗濯物を返してくれた。

 このときは僕の滞在期間が長かったからよかったけど,もし2~3日だけの短期滞在で日本に帰る身だったら,Gパンを取り戻せなかったかもしれない。寒い日本に短パンで帰るような事態は誰もが避けたいところだろう。

 ちなみにその後もこのクリーニング屋を観察していたのだけれど,店が開いていようが閉まっていようが,“Closed”の札は常に掛かったままだった。


③ おんなじ,おんなじ
 これは特定のタイ人が,という話ではない。ただ,タイ人は一般的に,外国人に英語で何かを説明するときに“Same, same(おんなじ,おんなじ)”という言葉をよく使う。“Same”という単語を繰り返すのがポイントだ。あの店に行っても値段は一緒だよ,とか,これもそれもモノは変わらないよ,など,いろんな文脈でけっこう出てくる。
 じゃあ比較した2つが本当に同じかというと,これが常にそうとは限らない。タイ人というのは(失礼ながら)かなりいい加減なところがある人たちで,何かを比べたときの判断も相当粗いようだ。

 バンコクの路上には観光客向けの露店が多く,色々なものを売っている。シャツを売っている店も多く,その中であるTシャツを見つけた。シンプルな単色のシャツで,胸のところに“Same,Same”と書いてある。何気なく裏返してみると,背中にはこうプリントされていた。
 “...but different.”

 恐らくタイ好きの欧米人がデザインしたんだろう。タイ人をよく見ているな,と思わず笑ってしまった。もっとも当のタイ人は,このデザインがどうして受けるのかあまり理解できないのではないかという気がする。

 ただしそのタイ人も,食べることになると急に選別基準が厳しくなる。同じような屋台があっても,必ずおいしいところに人が集まる。このときばかりはタイ人と欧米人の立場が逆転する。



④ 朝の9時半には着くよ。

 去年,タイ北部のチェンマイという街からバンコクへ夜行列車で移動した。このとき駅に行くと,たまたまどこかで大きな列車事故があったらしい。もともと予約していた便は運休となっていて,別の便に振り替えられることになった。そのときの説明では翌朝9時半にバンコクに着く,と言われ,振り替え便の切符を受け取った。

 タイの鉄道の切符には,乗客の性別が書かれた欄がある。僕が受け取った切符を見ると,ここに女性と書かれていた。係員にそのことを告げると,「いやいや,大丈夫だから」と軽く言われてしまった。まあここはタイだしきっと大丈夫なんだろうと思っていたけど,実際に車内で検札を受けたときに本当に何も言われなかった。

 さてその列車,その日の晩は出発予定を2時間ほど過ぎてチェンマイの駅を発った。事故があったんだから多少の遅れは仕方ない,と思っていたけれど,これが多少ではすまなかった。翌日になっても列車はどんどん予定から遅れ続け,バンコクに着いたのは夕方の5時半だった。その間,車内で遅れについての説明は一切なかった。
 同じ車両に乗っていた若いアメリカ人旅行者はかなりイライラしていたようで,一度は「この列車,9時半にバンコクに着くって言ってたよなあ」と僕にも話しかけてきた。もちろん,予定は9時半着だ。でもここはタイ,予定と結果が一緒になると期待するほうが悪い。まだまだ甘いな。



 こうやって色々と書いてみて,改めて僕はこんなタイ人の“ゆるさ”が好きだなあと思う。社会全体に「こうでなければいけない」という無言のプレッシャーが満ちている日本より,みんながストレスを感じずにのびのびとしているタイのほうがよほど僕の性格に合っている。
 確かに,ビジネスの相手としてはやりにくいかも知れない。でも,9時半着予定の列車が夕方5時半に到着しても平気な社会では,少なくとも福知山線の脱線事故のようなことは絶対に起こらないに違いない。

 そういう社会もいいなと思うのだ。
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by Asirope2 | 2007-03-20 13:25 | タイ

インドへ・・・行けず

 バンコク発デリー行きのエアインディアAI309便は予定通り夕方にバンコクの空港を飛び立ち,4時間余りのフライトの後に無事デリーの空港に着陸した...,に違いない。
 しかしその飛行機に乗るはずの僕はといえば,その頃バンコクのホテルのベッドの上で眠りこけていた。

 シミラン諸島でのダイビングツアーを終えた翌日,僕はバンコクに戻った。バンコクでは真っ先にインド行き航空券を手配し,いくつかの日用品の買い物を済ませた。あとはフライトまでの数日間,日本食を食べて体調を整えることに専念していた。
 バンコクには日本人駐在員も多く,日本食レストランはたくさんある。その上,僕のようなバックパッカーにはありがたいことに,バンコクの日本食は安いのだ。これは,日本食レストランに来る客が日本人だけではなく,タイ人もたくさんいるからではないかと思っている。タイ人の日本食好きはなかなかのものだ。他の国だと「日本食レストラン=高級レストラン」という図式ができていることも多く,世界広しといえどもカツ丼が300円で食べられる国はタイくらいではないだろうかと思う。
 こういう長旅をしていると,日本食をしっかり食べて息抜きするのも僕にとっては大切だ。どんなにタイ料理がおいしいといっても,それだけではやっぱり1ヶ月もすると日本食が食べたくなってしまう。ただしこの1ヶ月というのは,他国料理としては異例の長期間だということをタイ料理の名誉のために付け加えておくけれど。


 インドへのフライト当日は,朝から体調がおかしかった。正確に言うと,前日の夜から少し熱っぽかった。どうやらエアコンを効かせ過ぎた部屋で昼寝したのが悪かったようだ。インド行きのときに風邪を引くなんてついてないなという感じで,前日の夜は早く寝た。

 そしてフライトの日の朝,起きても体調は回復しておらず,むしろ悪化の様相を呈していた。体中が熱っぽく,頭や腰が痛い。これは危ないと風邪薬を飲み,荷造りを済ませるとチェックアウトまではずっと寝ていた。
 やがて昼前になり,ホテルをチェックアウト。フライトは夕方遅くなので,しばらくインターネットカフェで時間をつぶしてから空港に向かおうと思っていた。ところが,そのインターネットカフェでどんどん気分が悪くなってくる。室内のエアコンがよく効いていたためか,悪寒もしてきた。パソコンの前の椅子に座っているのも辛くなってきた。

 これはいけない。空港へ行くまでまだ数時間ある。少しでも体を横にしていたい。そう思って,一度チェックアウトしたホテルに戻り,夕方まで部屋を使わせてほしいと空き部屋に再びチェックインした。しかし一度ベッドに身を横たえると,もうとても起き上がれるような状態ではなくなってしまった。
 もうだめだ。これでは行き先がインドであれどこであれ,フライト自体に耐えられないだろう。朦朧とした頭でそう考えた僕は動かない体を無理やり起こし,航空会社のオフィスに電話して結局フライトの日程を変更したのだった。

 余談ではあるけれど,熱が出ると英語がほとんど話せなくなることに自分でも驚いた。ホテルの再チェックインや航空会社への連絡など,普段ならそう難しいものでもないのに,なかなか言葉が出てこない。僕にとって英語はやはり完全に外国語なのだった。

 こうして,僕の今回のインド行きは出だしからつまづいてしまった。とはいえ考えようによっては,風邪を引いたのが僕にとって過ごしやすいタイでよかったのかもしれない。長旅では健康が第一。新たなフライト日まで数日ある。ゆっくり体調を整えることにしよう。
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by Asirope2 | 2007-03-18 13:31 | タイ

シミラン諸島(5)

 前にも書いたとおり今回参加したクルーズの一日のダイブ数は4本,一日中潜っているような感じだ。当然船にはダイビング好きばかり集まってくるので,乗客同士の話も弾む。船のリーダーのジョンさんを始めスタッフも非常に気さくで,船の中はとてもフレンドリーな雰囲気だった。
 このリーダーのジョンさんはダイビングのポイントが近づくと見所や注意点を説明してくれるのだけれど,派手なジェスチャーや冗談を交え,とてもわかりやすく説明してくれた。一度沈船のポイントに着いたときなどは,コーラのケースを並べたものにシートをかけて地形を模し,その横にトースターを寝かせて沈船に見立てていた。トースターの電源コードは沈船からつながっているブイにするなど,芸が細かい!
 下の写真はそのときの“セット”一式を準備中のジョンさん。
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 僕のガイドさんもジョンさんの説明を聞いて,ブリーフィングのお手本のようだと言っていた。


 ジョンさんの説明が終わるとみんな一斉にダイビングデッキに降りて準備開始。お客さんが多い日は大混雑する。
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 準備ができた人から,どんどん海に飛び込んでいく。
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 一回のダイビングの長さは,潜る深度にもよる(深く潜ると空気の消費量が増える)けど,だいたい40~50分。海の中を堪能して海面に上がってくると,船が迎えに来てくれる。プカプカ海に浮かびながら眺める船の姿は堂々としていて格好いい。
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 船に上がったら器材を脱いでシャワーを浴びる。その後は上のデッキに上がって,水分とエネルギーの補充だ。船にはお茶・コーヒーのコーナーがあって,いくらでもお茶が飲める。また,果物のコーナーにはバナナとオレンジがたくさんあり,僕はダイビングの後はいつも濃いミルクティーとバナナで休憩していた。特にこのバナナがおいしかった。この船でいったい何本バナナを食べたことか。
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 下の写真はある日のスケジュール表。食べることと寝ることのほかにはダイビングしかしない。好きな人間にはたまらない。
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 こういう状態でずっと船に乗っていると食事は大きな楽しみだ。この船では毎日三食とも,スタッフが船の上で料理してくれる。これがまたメニュー豊富で非常においしい。昼前や夕方のダイビングだと,デッキでダイブの準備中にご飯を作っているいい匂いが漂ってくる。「ああ,お腹が空いてきたな」と思いながら海に飛び込み,腹ペコで海から上がってくると出来たてのご飯が待っている。この幸福感に満ちた一瞬は最高だ。


 船の周りには色んな生き物が寄ってくることがある。ジョンさんのブリーフィングの最中に,船のすぐ近くにマンタが来て客がみんな色めき立ったこともあるし,ウミガメが来て大撮影大会になったこともある。
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 また,結構大きな帆船が近くを通りかかったこともある。あんな優雅な船で旅を楽しんでみたいなあ,と呟くと他のお客さんも同意していた。みんな海が好きなのだ。
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 こうして海と船を存分に楽しんだシミラン諸島クルーズも,あっという間に時間が過ぎてしまった。3日間も船に乗っていたのが信じられないほど,短い時間だった。
 3日目の昼過ぎに潜った最後のダイブは,ガイドさんにお願いして浅めのところを多くしてもらった。浅いほうが太陽の光がよく届くので,海が明るくてサンゴもきれいに見えるからだ。最後のポイントは“East of Eden”という洒落た名前のところで,海の中は他のポイントと比べても際立って色彩豊かだった。
 この美しい海の中を,手足を動かさずに,浮かぶでもなく沈むでもなくユラユラと漂って流れに身を任せ,サンゴを眺めているのは至福のひと時だった。

 あっという間に終わってしまった最後のダイブの後は,荷物をまとめて下船。スピードボートに乗り換えてプーケットに戻った。そしてその翌日,2週間以上に渡ってピピ島・プーケット・シミラン諸島と続いた島と海の生活に別れを告げ,バンコクに移動した。

 何だか夢から覚めていくような気分だった。
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by Asirope2 | 2007-03-16 13:49 | タイ