<   2007年 02月 ( 13 )   > この月の画像一覧

ピピ島/海の中と海の上

 今日は初めて水中撮影を試してみた。船に乗ってスノーケリングツアーなどに参加すると本当にきれいなところに連れて行ってもらえるけれど,人の多いビーチではさすがに水の透明度はあまりよくない。それでも目の前の海に入ってもきれいな魚が結構いるので,まずはここで初挑戦することにした。わざわざ日本から持ってきたカメラの水中ケースの出番だ。

 ビーチからほんの2~3メートル行っただけで,もう魚がいる。餌をあげている人が結構いるので,人を見ると近づいてくるようだ。
e0105808_16383955.jpg

 この写真の魚はたくさん群れている。
e0105808_16384991.jpg

 きれいな色の魚がいたけれど,近づこうとするとすぐに逃げていく。なかなか近寄れず,きれいには撮れない。もっとも向こうからしたら馬鹿でかい生き物が近寄ってくるのは恐かっただろう。邪魔してごめんね。
e0105808_163948.jpg

 こんな貝のような形をした生き物もいた。僕は生物の名前をぜんぜん知らないので,これが何という生物で何の仲間なのか全くわからない。でも青い色が鮮やかでとてもきれい。
 こいつは近づいても逃げないけど,寄っていくとスッと蓋を閉じたようにして引っ込んでしまう。
e0105808_16391869.jpg

 絶対に逃げも隠れもしなかったのがナマコ。でも撮れてもあまり嬉しくない。どこにでもいっぱいいる。
e0105808_16392742.jpg

 魚だけではなく,サンゴのような生き物(だと思う)もたくさんいる。色とりどり,というわけではないけど,豊かさを感じさせる。
e0105808_16394962.jpg


 ここピピ島には,宿泊客以外にも一日クルーズなどで来る観光客がたくさんいる。僕が滞在しているハート・ヤオというビーチにも,沖合いに停まったクルーザーからボートに分乗して毎日たくさんの人が訪れる。昼の食堂なんか大混雑だ。
e0105808_1640334.jpg

 僕の泊まっている宿のレストランは収容能力が大きいため,昼間は団体客専用になってしまう。おかげで当の宿泊客である僕たちは,隣の小さな宿に併設された別のレストランへ行く羽目になる。

 そんなお客さんたちも,昼過ぎにはまたクルーザーに乗って帰っていく。しばらく海を眺めたり泳いだりしていううちに時間がゆっくりと過ぎていき,今日も穏やかな夕暮れが訪れる。
e0105808_16402655.jpg


 と,こんなことばかり書いていると,僕がとんでもなく優雅な生活をしているように見えるかもしれない。しかし実際にはいいことばかりというわけでもない。

 まずここピピ島では物価がやたらと高い。タイの平均の3倍くらいする。でもそれは覚悟して来たからいい。停電も多い。扇風機が止まると部屋はとても暑くなる。ただしこれも風通しのいいレストランに行けば済む話だ。
 何よりもここで一番苦労するのは,水だ。

 水道の蛇口をひねると確かに水はでてくるのだけれど,その水というのが赤茶けた色を帯びているのだ。運がよければほとんど透明に近いこともあるけど,ときにこれが真っ赤な泥水になることもある。ピピ島は小さな島なので,真水の確保が大変なのだろうと思う。

 シャワーの水も,当然これと同じ水だ。だからシャワーを浴び終わった後は,いつも足元に溜まった赤茶けた水を見て溜息をつくことになる。もちろん歯磨きにはミネラルウォーターを使っている。

 またバックパッカーたるもの,洗濯は毎日自分でするのだけれど,これもなかなか大変だ。水の色が余りに赤ければさすがに躊躇してしまう。ときどき水の色を確かめながら,何とか色が薄まったときを見計らってすかさずシャツを洗うのだ。

 しかしいくら色が薄いといっても,ここの水は決して透明にはならない。そんな水でジャバジャバとシャツを洗いながら,果たしていま自分はこのシャツをきれいにしているのだろうか,あるいはむしろ汚しているのではないだろうか,と自問自答することになる。
 僕は大抵のことにはすぐに慣れてしまうのだけれど,この水にだけはなかなか慣れることができない。もちろん立派なホテルに泊まればきれいな水でシャツを洗えるとは思うけど,そんなところに泊まる人は自分ではシャツを洗いはしないだろう。

 しかしそれでもピピの美しい海を見ていると,明日もやっぱりここに泊まるんだろうなあ,などと考えている自分がいる。
 結局のところ,僕はこのピピ島が大好きなのだ。
[PR]
by Asirope2 | 2007-02-27 16:40 | タイ

ピピ讃

 ピピ島に来て息を飲んだ。明るいエメラルドグリーンの海が目の前に拡がる。その中を泳ぐ魚の影もはっきりと見える。そう,この海が見たくて僕はここにやってきたのだ。

 去年訪れたサムイ島やパンガン島の海もきれいだった。ダイビングのライセンスを取ったタオ島の海も素晴らしかった。
 しかし,ここはもう別格だ。見事な色彩に恵まれた海が,満面に無垢の笑みを湛えて旅行者を迎え入れてくれる。
 僕は,ピピ島の玄関口トンサイ湾からボートに乗って,バンガローの多く集まるハート・ヤオというビーチに向かった。
e0105808_16285376.jpg

* * *

 ピピ島の海の色は,海底の深さや岩影により,ときに明るい緑,ときに深い青と微妙ながらも多彩に色調を変える。
e0105808_16292271.jpg

 日の光はさざなみに反射し,無数の光の粒となって踊り続ける。目を上げると,海の向こうには切り立った崖に囲まれた島々が点在する。気の遠くなるような年月をかけて日と水と風が創り上げたその姿は,人の居住を拒み,かつ人を魅了する。
 空は鮮やかに晴れ渡り,その空を背景に椰子の葉の緑が冴える。

 夕暮れどき,太陽が海に近づき,海面で弾けた光の粒はその一つひとつがまるで太陽そのものであるかのように輝く。海に映った無数の太陽は,そのいずれもが一時も休むことなく,熱く強く烈しく踊り狂う。
 尽きることがないように思われるその踊りも,日が山の端にかかると急速に光を失っていく。すみやかに夜が日のあとを継ぐ。

 夜の闇が海と島を覆うと,絶え間なく続く波音を伴奏に,空は星々の舞台となる。その静かなざわめきはやがて空一面を覆い,誰も知らない言葉で語られる会話は果てしなく続く。人の世界を一切気にかけることなく,星は星自身の世界で,星自身の流儀に従って振舞う。
e0105808_16294511.jpg


 やがて東の空に朝の光が届き始めると,星々のささやきは遠ざかり,次第に明るくなる空のもと,海に輝きが戻ってくる。波音は生命感を増し,海はますます明るく,ますます透明に輝く。
e0105808_16301524.jpg

 再び一日が始まり,ピピは昨日と変わらぬ無垢の笑みを湛える。
e0105808_16303965.jpg

e0105808_1631425.jpg

[PR]
by Asirope2 | 2007-02-26 16:31 | タイ

再会

 思いのほか滞在が長くなったハジャイを後にして,僕は次の目的地であるスラターニーという街に向かった。ここはハジャイからバスで約4時間半,観光名所という点ではハジャイ以上に何もない街だけれど,意外なことに欧米からの旅行者が多い。その理由は,ここスラターニーがプーケット島とサムイ島という二大観光地のちょうど中心に位置し,移動の拠点となっているからだ。僕も今回ハジャイからプーケットに移動するために,このスラターニーに立ち寄ったのだった。
 もっとも,プーケットに移動するだけならハジャイからだって直行バスが出ている。それなのにわざわざスラターニーに立ち寄ったのは,どうしてもここに一泊したい宿があったからだ。

 ちょうど半年前,僕はサムイ島に行ったあと,バンコクへ移動する前にやはりここスラターニーに一泊した。そのときはタクシーの運ちゃんに薦められるままに街なかの安ホテルに泊まったのだけれど,バンコクへの夜行バスを予約する際に,とあるゲストハウスを利用した。

 そのゲストハウスはバックパッカー向けの安宿であると同時にインターネットカフェでもあり,またタイ各地へのバスの予約を受け付ける旅行代理店のようにもなっている場所だった。外人旅行者向けのいわゆる安宿街ではこういうのは珍しくないけれど,スラターニーでは恐らくここ一軒だけだろう。そして何よりも宿のスタッフがこの上なく親切で,とても居心地がよかったのだ。ここに泊まっていなかった僕も,暇な時間をずっとここで過ごしていた。

 そのときの居心地のよさが忘れられず,今回はもう最初から一直線にこの宿を目指した。僕はどんな街でも何時間もかけて自分の足で歩き回るので,一度滞在すれば風景や地理はなかなか忘れない。ここでも,バスターミナルから迷わずにこの宿にたどり着いた。
 相変わらずここのロビーは欧米人旅行者でごった返していた。その中で宿のおばさんを探すと,椅子に座ってある旅行者と話し込んでいるのを見つけた。ちょうどそのとき向こうもこっちに気付いて,開口一番こう言った。「あら,あなた以前にもここに来た人でしょ?」

 ぼくがここでは珍しい日本人の客だということもあるだろうけど,泊まりもしなかった僕をこうやって覚えてくれていたというのは本当に嬉しかった。この言葉を聞くためだけでもここに来てよかったと思った。

 実際に泊まってみるとエアコンのない部屋はかなり暑かったりと,全く申し分なしというわけでもなかったけれど,そこは一泊数百円の安宿なのでこちらも多くを期待するわけでもない。しかし相変わらず宿の人たちは親切で,プーケット行きのバスのことを尋ねると細かく丁寧に色々と教えてくれた。
 ちなみにここのおばさんは英語がとても達者で,ボーっと聞いていると余りにも流暢な英語が僕の耳と頭を素通りしていく。

 ここの居心地のよさに思わず長居したくなったが,宿から一歩街に出てしまうと何があるわけでもない。僕は翌朝発のプーケット行きバスを予約した。


 そうして今日,いよいよプーケットに到着した。ただしプーケット滞在の本番は1週間後。今回はここに一泊だけして,明日は船でピピ島へ向かう。だから今回泊まったのも華やかなビーチ沿いではなく,プーケットタウンという地元の人が多く港に近いエリアだ。

 このピピ島・プーケット島滞在は,今回の旅の最初のクライマックスとしてずっと楽しみにしてきた。ピピ島では美しい海を眺め,後半のプーケットでは友人のTさんとその美しい海に潜る。

 ここでの滞在は,恐らく今回の旅でも最も優雅な日々となるだろう。
[PR]
by Asirope2 | 2007-02-24 19:42 | タイ

素顔のハジャイ

 ハジャイでは少しのんびりと過ごしながら,毎日街を歩き回っている。今日はハジャイの鉄道駅へ行ってみた。ここはマレー鉄道の主要駅の一つで,僕もバンコクからマレーシアへ移動するのに2回ほど通過したことがあるけれど,駅のホームに立ったのはこれが初めてだった。

 マレー鉄道の駅には改札がなく,みんな自由に出入りできる。電車に乗る人は車内で車掌さんに切符を見せて鋏を入れてもらう仕組みだ。
 僕が行ったときには電車が一本停まっていた。午後の日差しが強くて暑い時間だったけれど,停まっている電車がちょうど日陰を作ってくれていた。その陰になった駅のホームでは,この列車の発車を待つ人や,後から来る別の列車を待つ人が,それぞれ思い思いに時間を過ごしていた。
e0105808_20385885.jpg

e0105808_20391950.jpg

 駅舎近くのホームにはタイ語の時刻表があった。数字以外は全く読めない。
e0105808_20393243.jpg

 もっとも,駅舎の中には英語の時刻表があるので旅行客も心配はいらない。

 駅をしばらくうろついた後は,地図も見ずに気の向くまま歩き始めた。10分ほど歩いたころ,市場を見つけた。この辺りは観光客が余り来ることのない地区のようだ。僕は地元の市場というのが大好きなので,ためらわずに入っていく。

 ここは,僕が今までタイで見た中でも最も狭い市場だった。市場全体は結構広いと思うのだけど,とにかく通路が狭い。大人二人がすれ違うのに,体をお互いに横向きにしないと通れない。縦横に伸びる狭い通路の両側に,所狭しと商品を並べた店が軒を連ねる。
e0105808_2040522.jpg

 ガチャン,と近くの店から大きな音がした。どうやら,お母さんが買い物をしているスキに子供が商品の瀬戸物を触っていて,うっかり落としてしまったようだ。足元でお皿が何枚も割れている。絶句して子供を睨みつけるお母さん。まだ幼い女の子は,自分が何かとんでもないことを仕出かしたことを悟ったという顔つきでお母さんを見つめ返す。二人の間を行き交う,緊張感に満ちた無言のやりとり。


 そんな市場を通り抜けて,僕は更に歩き続ける。道沿いの看板は全てタイ語にかわり,中国語や英語はほとんど見なくなる。旅行者向けエリアとは違って,ゆったりとした生活感のただよう穏やかな雰囲気に包まれている。ここには素顔のハジャイがある。
e0105808_20402457.jpg

 小学校の近くでは,子供たちが冷たいデザートに夢中になっている。タイでは,下校時間になると学校の門の外に屋台がたくさんやってくる。育ち盛りの子供たちがその屋台に一斉に群がる,という光景はタイではよく見かける。
e0105808_20403999.jpg


 少し汗をかいたので,近くの果物屋台でスイカを一切れ買った。炭酸飲料よりも体をすっきりと冷やしてくれるような気がするので,僕はタイではスイカをよく食べている。


 その場でスイカを食べ終わると,当てずっぽうで宿の方へ戻り始める。だいたいの方向感覚だけで歩くのでどんどん見知らぬ道を通り過ぎていく。
 ここは一体どこだろう,本当にこれで宿に戻れるのかな,と考えながら歩くのは,僕にとっては不安でも心配でもなくて,旅をしている実感に満ちた至福のひと時だ。
[PR]
by Asirope2 | 2007-02-22 20:42 | タイ

メリー・クリスマス!

 マレーシアのランタウ・パンジャンから国境を越えたタイ側の街はスンガイ・コーロクといい,タイのほぼ最南端に位置する。実はここスンガイ・コーロクを含むタイ最南部では政治的な緊張が続いていて,タイからの分離独立を求める爆弾テロが頻発している。マラッカからずっとバス移動が続いていて疲れてはいたが,ここに長居はしたくない。急いでこの地域を抜けるため,すぐにタイ南部の主要都市ハジャイ行きのバスに乗り込んだ。
 しかし後でハジャイに着いてから知ったのだけれど,僕が通過した前の日,中国正月の元旦にこの地域でテロが相次いだらしい。ずっとバスに乗っていたので知らなかった。事前に知っていればこの地域は迂回しただろう。
 スンガイ・コーロクからハジャイまでは約4時間の道のりだった。昼過ぎの暑い時間帯に無事にハジャイに到着し,去年も泊まったホテルにチェックインした。マラッカからここまで2日間,おそらく道程は1000kmを超えているはずだ。
e0105808_11212915.gif



 ここハジャイはマレーシアとの国境に近いため,マレーシアやシンガポールの華僑の人々の旅行先として人気がある。街の至るところに中国語の看板が掲げられていて,ちょっとタイらしくない雰囲気も漂っている。
e0105808_11305665.jpg


 屋台でご飯を食べて勘定をするときに「いくら?」とタイ語で聞けばタイ語で答えてくれるけど,ジェスチャーで聞いたら中国語で返ってきた。僕はタイ語のほうが分かるのに。いずれにしても,それくらい中国語が街じゅうに浸透している。一方で英語はあまり通じない。

 華僑の人たちも日本人と同じようにマッサージが好きと見えて,マッサージ屋がやたら多い。フットマッサージは“脚底按摩”と書かれている。これはこれで分かりやすい。
e0105808_113117100.jpg


 タイ人は観光客に対して親切な人たちだと思う。ただ,ときに度が過ぎてしまって迎合に近くなることもある。プーケットやサムイ島など白人観光客の多い地域では大通りの看板が英語ばかりでタイ語が一切なくなったり,ホテルのレストランではメニューの大半が白人向けの西洋食になることもある。
 ここハジャイでもそのタイ人の“寛容さ”は遺憾なく発揮されており,ムスリムが多いはずのこの地域で豚肉を食べるのに困ることは全くない。またこの時期は中国正月の飾り付けが街を彩り,夜になると派手な照明が明るく輝く。
e0105808_11313420.jpg

 街の中心部の電飾の中でひときわ目立つ“Merry Christmas 2007”というのはちょっと勇み足だと思うけど,これもご愛嬌。何といってもめでたい新年なのだ。
e0105808_1131512.jpg


 とにもかくにも,ハジャイの夜は明るくて活気に満ちている。通りには屋台が溢れ,観光客も地元客も自分の食欲を満たすことにいささかのためらいも見せない。もちろん,僕もそのうちの一人だ。
e0105808_11321466.jpg

 ここはここで,タイの地方都市の一つのあり方を表しているのだろう。特にこれといった見所のある街ではないけれど,街と人が活気に満ちているので歩いていて面白い。
e0105808_11325153.jpg

[PR]
by Asirope2 | 2007-02-21 11:43 | タイ

縦走・マレー半島

 中国正月の大晦日にあたる土曜日,Goldrattさんとお会いした。Goldrattさんはマレーシアのペナン在住の日本人の方なのだけれど,僕が去年,この一連の旅を始めた直後から僕のブログを見てくださっている。今回僕がまたマレーシアに来ていることを知って,わざわざ僕にコンタクトを取り,ペナンから遠く離れたマラッカまで来て下さった。

 ブログの上ではお互いコメントを入れあったりして交流はあったというものの,直接お会いするのは初めてだった。どんな方かとちょっと緊張したけれど,大変気さくで親切な方だった。

 夕方お会いしてマラッカの観光名所をご案内したあと,市内の高級ホテルの和食レストランに行った。Goldrattさんからご自身もこういう旅がしたかったのだけれど,昔は今のように自由に旅行ができるわけでもなかったので替わりに応援していますと言われ,好き勝手に旅をしているだけの僕としては大変恐縮だった。

 「今日はIBAさんを応援に来ました。ご馳走しますから食べられるだけ食べて下さい。」とも言って下さってこれまた非常に恐縮だったが,あつかましくご好意に甘えることにした。ちょうどバイキングだった気安さもあって,寿司・刺身・ざるそばなど,目一杯お腹に詰め込んだ。
 普段は地元の安食堂でばかり食事をしていてそれはそれで満足なのだけれど,この日は日本語での会話も心ゆくまで楽しむことができ,Goldrattさんのお人柄もあいまって僕にとっては非常に心に残る一日となった。またどこかでお会いしてこの御恩返しをしたいものだ。
 食事を終えた後少し街を歩きながら話を続け,解散となった。


 その翌日の朝,僕はマラッカからマレー半島東海岸のメルシンという街にバスで移動した。これが,その後に続く一連の大移動の幕開けだった。

 マラッカを午前8時に発ったバスは,予定通り正午にメルシンに着いた。のどかな田舎町という表現がぴったりのところだ。
e0105808_11361816.jpg

 僕はメルシンの次はクアラ・トレンガヌという,メルシンよりだいぶ北にある街に行くつもりだった。クアラ・トレンガヌの沖合いには美しい島々があると聞いていたからだ。

 メルシンのバスターミナルに着いて,まずはそのクアラ・トレンガヌ行きのバスのチケットを買おうとしたが,中国正月の影響でチケットが取れない。バス会社の人からは,クアラ・トレンガヌの手前にあるクアンタンという大きな街まで行ったほうがバスがたくさんあるよ,と言われた。

 ところが,そのクアンタン行きのバスというのが,どれも夜の8時とか10時とかに出発する便ばかりなのだった。クアンタンに着いたら,深夜の乗り継ぎバスもたくさん出ているという。少し考えて,僕はその日のうちにクアンタンに行くことにし,その場でチケットを買った。

 同日の移動とはいえシャワーを浴びてゆっくりしたいので,メルシンの街中に移動してバックパッカー向けの安宿にチェックインした。昼食を摂り,シャワーを浴びたあとは夜の移動に備えて昼寝をする。

 午後7時半ごろにはこの宿をチェックアウトして,バスターミナルに向かった。バスターミナルの食堂で夕食をとった後,バスに乗り込んでいざクアンタンへ。さすがに夜も遅くなるので,クアンタンで無事にバスを乗り継ぐことができるか気にはなったが,いくら心配しても状況が変わるわけではない。向こうに着けばどうにかなるだろうと,バスの中では少し寝た。

 バスがクアンタンの大きなバスターミナルに着いたのは午後11時半頃。クアンタンのバスターミナルは地上階にバスのプラットホームが10本くらい並び,その上の階にチケットカウンターや食堂,売店などが入っていた。この時間ではさすがに人は少ないが,薄暗い中でそれでもまだいくつかのバス会社のチケットカウンターは開いていた。

 片っ端からクアラ・トレンガヌ行きのバスについて聞いて回るが,やはりどこも売り切れだという。そうして聞いて回るうちに,あるバス会社の人が,一人くらいなら何とか押し込めるんじゃないかな,と言ってくれた。バスの出発は午前1時だから,その15分前まで待っていてくれ,たぶん大丈夫だ,とのことだった。これが駄目ならクアンタンに泊まればいい。そう思って,1時間ほど待つことにした。周囲には深夜発のバスを待つマレーシア人が少なからずいたが,さすがに東海岸の街だけのことはあって,ほとんどがマレー系。中国系やインド系の人たちはほとんどいない。

 やがて午前1時前になったのでバス会社のカウンターに行ってみた。すると,「ごめんごめん,だいぶ粘ったんだけど,今日はもう一席も空いてないんだってさ。本当にごめん。」とバス会社のスタッフは平謝り。まあ仕方ない。今日はホテルを探すよ,どうもありがとう,とそのスタッフにお礼を言ってその場を離れた。
 そのとき,一人のマレー人のおじさんが僕に近づいてきた。

 おじさんは何か紙切れを手に持って,マレー語で話しかけてくる。どうやらこちらの行き先を聞いているらしい。クアラ・トレンガヌに行きたいんだ,と言うと,手に持った紙切れを僕に見せてくる。

 その紙切れは,バスのチケットだった。それで事情が飲み込めた。おじさんは自分が乗らなくなったバスのチケットの買い手を捜していたのだった。そのバスの行き先はコタバルという,マレーシア東海岸でも最北端の街だった。クアラ・トレンガヌよりだいぶ先だけれど,途中でクアラ・トレンガヌにも寄るという。バスの出発は午前1時。もうあと5分だ。

 25リンギットのチケット代は20リンギットでいいよ,とおじさんも必死に売り込んでくる。普通にトレンガヌ行きのチケットを買うよりも高いが,こっちだって困っていたところなので渡りに船だ。おじさんの言い値の20リンギットでOKし,商談成立。急いでバスに向かい,車掌にクアラ・トレンガヌで停車することを確認してバスに乗り込んだ。

 こうして,僕の“マレー半島東海岸縦走バスリレー”は間一髪,綱渡り的に辛うじてつながった。少なくともそのときはそう思った。


 バスに揺られているうちに,僕は寝入っていた。ふと目を覚ますと,時計は午前6時過ぎ。いやな予感がした。ガイドブックにはクアンタンからクアラ・トレンガヌまでバスで4~5時間と書いてある。バスは1時に出発したので,そのときにはもう5時間以上経っていた。深夜便なので道はガラガラ,バスがそんなに遅れるとも思えない。
 案の定,バスは僕が寝ているうちにクアラ・トレンガヌを遥かに過ぎ去っていたのだった。恐らく途中でクアラ・トレンガヌにも止まったのだろうけど,ドライバーのおじさんが何も言わなかったので,僕は気付かずに眠りこけていたのだ。

 こうなったら慌てても遅い。諦めておとなしくバスに乗り続けていると,やがて終着駅のコタバルに到着した。時刻は午前7時半,もう朝だ。

 バスは街なかに停まったので,まずは地図で現在地を確認する。どうやらバスターミナルが近くにあるようだ。クアラ・トレンガヌに戻るバスがすぐにあれば,それに乗って引き返してもいい。そう思って,ひっきりなしに言い寄ってくるタクシードライバーを追い返しながらバスターミナルに行ってみた。

 しかしここでも相変わらず,すぐにクアラ・トレンガヌへ行くバスはなかった。さすがにバス移動が続いて疲れも出てきたので,この日は近くの宿に泊まろうとその場を離れた。


 ところが,今度はその宿がなかなか見つからない。看板はあちこち出ているのに,まだ時間が早いのでどこも満室で,昼にならないと空室はないよと言われてしまう。僕のガイドブックに載っていた安宿に至っては,まだレセプションが開いてもいない。とはいえ,当面そこしか望みがないのでしばらく待つことにした。

 30分ほど経ってからレセプションに行ってみるが,まだ閉まっている。仕方ないので近くの食堂で朝食を摂る。そこで粘って更に30分経ったころ。また行ってみるが,駄目。更にもうひと頑張り,30分経ってから行ってみてもレセプションが相変わらず閉まっているのを見たとき,僕は衝動的にその場を離れた。バスステーションに向かい,そこに停まっていた一台のバスに僕は飛び乗った。

 そのバスの行き先は,クアラ・トレンガヌとは正反対の方向にあるランタウ・パンジャンという小さな町。タイとの国境の町だ。そして約1時間後,僕はマレーシアからタイに入国していた。
 僕のマレーシア東海岸の旅は,こうしてバス移動だけで幕を閉じたのだった。クアラ・トレンガヌの島を見ることができなかったという若干の後悔と,ずしりと重い疲労感が残った。


 2週間かけて南下したマレー半島を今度はわずか30時間足らずで北上した僕は,これでマレーシアに別れを告げてタイの最初の目的地・ハジャイへと向かった。
[PR]
by Asirope2 | 2007-02-20 11:48 | マレーシア

中国正月

 今年は2月18日が春節,つまり中国正月だ(西暦を基準にすると日付が毎年変わる)。この時期マレーシアでは中国系マレー人が国じゅうを大移動するので,飛行機や鉄道,長距離バスが大混雑する,と話には聞いていた。ただしあまり真剣に捉えてはいなかったので,東海岸の街メルシンへは今日行こうと気軽に考えていた。

 ところが,昨日ふと気になってバスターミナルへ行ってバスのチケットを予約しようとすると,これが売り切れていた。中国正月は日曜日なのだけれど,その直前の金曜日と土曜日はもう全く席が残っていないということだった。やられた。中国正月を少し侮っていた。
 こうなったら仕方がない。チケットの取れる日曜日,つまり中国の元旦に移動することにした。宿に戻ってこの話をすると,同じように東海岸へ行こうとしていた旅行者が困りきっていた。

 この時期,チャイナタウンでは街中がお正月飾りで覆われる。どこへ行っても,「新年快楽・恭喜発財」と書いた飾りや垂れ幕が見られる。「快楽」は中国語で“Happy”の意味だから,“新年快楽”は“Happy New Year”だ。“恭喜発財”の方はよくわからないけど,家が豊かになりますように,というくらいの意味だろうか。“財”の字が入っているあたりが中国らしくて面白い。

 ちなみにお正月の話とはずれるけど,少し前の14日はバレンタインデーだった。これを中国語では“情人節”というそうだ。“情人”は恋人という意味らしいので,日本語だったらさしずめ「恋人の日」というくらいの感じだろう。
 日本でもこの日は完全に商業化されていて,もともとどういう宗教的意味のある日なのか僕もよく知らないけれど,少なくとも名前だけはまだ「バレンタインデー」と名残を留めている。それが中国語になると,もう容赦なくストレートに“情人節”だ。中華的合理性,といったところか。

 ここマラッカのチャイナタウンは,クアラルンプールのそれに比べると随分小さくておとなしく,地味な印象を受ける。それでも,お正月飾りがこの街並みを華やかに彩る。
e0105808_1619034.jpg

 近くのショッピングモール内には舞台が設置され,楽団の演奏や漫才などの催し物が行われていた。
e0105808_16191797.jpg


 この春節,本家の中国では交通機関や宿が大混雑し,役所や店は閉まっていて旅行するのが大変だろう。マレーシアが多民族国家である有難さが,食べ物の種類の豊富さだけではないことを実感するのだった。
[PR]
by Asirope2 | 2007-02-16 16:20 | マレーシア

マラッカ海峡に夕日が沈む

 僕はかつて,数ヶ月間に渡ってここマレーシアに仕事のために滞在していたことがある。だからマレーシアに来るとどうしてもその頃のことを思い出してしまい,自分で選んだ道とはいえ,今は仕事をしていない自分の境遇と否応なく向き合わされるような気持ちになる。特にクアラルンプールには色々と思い入れがあり,僕にとっては思い出深い街であるがために,同時にまた内心の葛藤を覚えずにはいられない街でもある。
e0105808_11355459.jpg

 去年,仕事を辞めてすぐにマレーシアに来たときは,その葛藤に耐えられずにすぐタイに戻ってしまった。自分の中で,まだ充分に自分と向き合うだけの気持ちの整理ができていなかったのだろう。そういう経験があったので,今回こうしてまたマレーシアに来ることに,一抹の不安を感じていた。また息苦しい思いをしないだろうか。また逃げ出したりはしないだろうか。

 今回は,しかし,大丈夫だった。昨年末に一度日本に戻ってから今回再び旅立つまで,自分の中でこの旅に出ることについて,自問自答を繰り返していた。そして,今はとにかく前に進むことが大事なのだと自分なりの答えを出していた。
 その強い気持ちがあったので,今回はマレーシアに来てからも過去の自分と動じることなく向き合い,乗り越えることができたようだ。

 少し前までは,会社に勤めていた頃の自分と,現在の自分の間にまだ連続性があった。でも今では自分自身の変化が大きくなってきて,その連続性が失われつつあることを実感する。そのことに寂しさを感じないといえば嘘になるが,これが前に進むということなのだろう。
 いまは,道を続けよう。次の街へ移動するのだ。


 クアラルンプールの次に向かったのは,バスで2時間ほど南に走ったところにあるマラッカだ。ここはマレーシアでも有数の,歴史遺産にあふれた街だ。

 ここははるか昔から,「海のシルクロード」の重要な中継地点として栄えてきた。商業的な交易の舞台としてだけではなく,東西文化の流入口としての役割も担ってきた。マレー半島のイスラム教は,かつてイスラム化したインドからここマラッカへ船で渡ってきたものだという。

 また,インド・中国と直接航路がつながっているため人の往来も盛んになり,中国人やインド人の移住が促されたという。現在の多民族国家マレーシアの出発点となった街でもあるのだろう。
 さらに500年ほど前の大航海時代になると,その貿易上の重要性からポルトガル・オランダ・イギリスが相次いでこの地を支配した。

 そんな歴史を持つマラッカの街も,今は近代的に開けた大きな街だ。しゃれたショッピングモールなどもあり,そこだけ見ていると他のマレーシアの街と大きく変わるところはない。
e0105808_11364140.jpg


 そんな街なかから少し歩くと,歴史遺産地区に出た。スタダイスと呼ばれるオランダ統治時代の建物周辺は濃いピンク色の建物が立ち並び,花壇には色とりどりの花が咲き,全く雰囲気が変わる。ここにはキリスト教会もあった。
e0105808_1136533.jpg


 この一帯は丘の麓にあり,この丘を登ると今度はポルトガル人が立てたセント・ポール聖堂跡がある。階段を登るにつれ,その姿が見えてきた。
e0105808_113727100.jpg


 丘の上からはマラッカの街が見渡せる。そしてその街並の向こうに海が見えた。永きに渡って海上交通の要所であり続けている,マラッカ海峡だ。
e0105808_1137381.jpg


 このセント・ポール聖堂自体はそれほど大きいものではない。しかし今回ここへ来て初めて知ったのだけれど,かのイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルもこの聖堂に長く通い,更にここマラッカの地でその生涯を終えたという。遺体はしばらくこの聖堂に埋葬されたあと,改めてインドのゴアへ送られたのだそうだ。
e0105808_11375386.jpg

 聖堂の手前にある白い建物は,後にこの地を支配したイギリスが建てた灯台だという。
e0105808_1138683.jpg

 聖堂は既に屋根がなく,内部には日の光が直接差し込む。そこに文字を刻んだ石碑のようなものが並べられていた。
e0105808_11382132.jpg


 ポルトガルのセント・ポール聖堂といえばマカオにもあった。こちらはずいぶん大きな建物だったけれど,火災のために正面の壁一枚を残してあとは焼失していた。それを思い出しながらマラッカの聖堂を見るうちに,僕の想像力の中でかつてこの地に生きていた人々の息吹やざわめきがよみがえってくる。
 世界史の一部が僕の頭の中で少しずつ具体的な実感を伴って呼吸を始め,遠い昔の生き生きとした生命を取り戻し始めたかのようだった。

 この聖堂跡には夕方もう一度訪れた。マラッカ海峡に夕日が沈み,その夕日を浴びて聖堂が赤く染まる。人の世の営みがいかに変化しようとも,この聖堂自体は長く変わることなく,こうして一日いちにちを終えていくのだろう。
e0105808_1138421.jpg

e0105808_11385471.jpg

 やがて聖堂は濃くなりまさる夕闇の中に沈んでいった。
e0105808_113963.jpg

[PR]
by Asirope2 | 2007-02-15 11:58 | マレーシア

クアラルンプール/チャイナタウン

 ペナンの次に訪れたイポーはかなり大きな街で,僕が勝手に想像していたような風情のある街というのとは少し違っていた。こんなことならペナン島にもう少し長く残ればよかったと思うことしきりだったけど,今さら後戻りもできない。これもまた旅。ここは一日滞在しただけで早々に次へ進むことにした。 
 イポーの次に向かったのはマレーシアの首都,クアラルンプール。東南アジア有数の大都市だ。

 イポーからのバスが到着するクアラルンプール(マレーシア人はKLと呼ぶ)のバスターミナルから歩くこと5分,目指すチャイナタウンが見えてきた。ここはKL有数の安宿街でもある。中国風の建物や装飾が入り乱れ,ここだけ突然雰囲気が変わる。ふと視線を上げると遠くに高層ビルが見え,ここがマレーシアであることを再確認する。
e0105808_156373.jpg

 ここでは今回の旅に出て初めて,ドミトリー(相部屋)に泊まった。ドミトリーでは貴重品などの荷物管理が多少面倒ではあるけれど,安いことのほかに同じ部屋の旅人と様々な情報交換ができるという利点もある。

 さて,この宿のあるチャイナタウン,なかなか活気があっておもしろい。商魂たくましく,食欲旺盛な中国人のイメージをそのまま形にしたような場所だ。

 通りには時計や財布,香水,かばんや衣類などの“ブランド品”を“安く”売っている屋台がズラッと並ぶ。ロレックスの時計なら3000円。もちろんみんな偽物だ。
e0105808_1565415.jpg


 もちろん食べ物屋も多い。通りにベーコンのようなものを焼いて売っている店がたくさん並んでいた。炭火で焼いているので煙がもうもうと立ち昇るのだけれど,その煙は換気扇を使って通りに向けて勢いよく放たれる。
 においで客を釣る中華的巧妙的作戦なのかもしれないけれど,煙を当てられる通行人からすると正直なところちょっと勘弁してほしい。
e0105808_1574890.jpg


 もちろん普通の店も普通にある。食堂や雑貨屋,マンゴーやパパイヤ他たくさんの南国の果物を売る店なども多い。そんな通りを華人だけでなく,マレー系やインド系の人たちも行き交い,多民族国家ならではの風景と独特の雰囲気を作り出している。
e0105808_1584391.jpg

 なぜかサンタクロースの帽子をかぶったおじさんが歩いていた。
e0105808_159486.jpg


 少し細い通りを入っていくと,生鮮食品を売る市場になっている一画があった。細い路地に肉や野菜を売る店がたくさん並んでいる。
e0105808_15101240.jpg


 ここの市場の鶏肉売り場はなかなか強烈だった。どの店も商品の鶏肉が並ぶ台の下は鳥籠になっていて,生きた鶏が押し込められている。喧騒の中から鶏の鳴き叫ぶ声がするのでそちらを振り向くと,籠から一羽の鶏がつかみ出されるところだった。
 店の親父はその鶏をそのまま秤に乗せ,客にこれでいいかと訊く。客も当たり前の様子でいいよと返す。すると親父はその場で鶏の首に包丁の刃を当てたのだった。

 いわゆる発展途上国と呼ばれる国々を旅していると,人と自然との距離というのを考えずにはいられない。
 ここで見たような家畜から食肉への処理の過程は,いわゆる先進国ではほぼ完全に隠されているので普段僕たちが日本で目にすることはない。
 しかしこうして実際にひとつの命がわれわれ人間の食べ物へと処理されるところを目の当たりにすると,人がいかにたくさんの命を頂いて生きているかということを実感する。そうしなければ人間は生きていけないのだ。人は自然界の膨大な生命に直接・間接に支えられている。
 こういうことを考えると,食べ物を大事にしないといけないということの意味が僕にはよくわかる。

 こういう食肉の処理を表に出すのが野蛮だとか残酷だとかいう考え方は,僕は表層的でしかないと思う。確かに生命を奪うのは残酷なことだ。ただ,繰り返すが人間はそうしないと生きていけない。むしろこういった処理が裏で行われていることを忘れ,平気で食べ物を無駄にするほうがよほど野蛮で傲慢な行為だろう。


 この他に「先進国」で隠されているのは人の死と排泄行為だろう。でもインドに行けば公共の場であるガンジス河の河畔で,亡くなった人々の遺体を焼き,河に流している。
 また,東南アジアやインドなど,世界の多くの地域ではトイレットペーパーを使わずに自分の手と水をつかって直接お尻を洗う。
 こういう社会の中に入ってみると,人と自然との距離がぐっと近くなるような印象を覚える。そしてそういうことを考えていると,人間が自然の一部なのだということに簡単に気が付く。そもそも,人と自然が対立する概念だと考えるのは,地球全体ではかなり少数派なのではないか。


 色々と考え込みながら歩いていると,チャイナタウンのはずれにきた。ここでは突然大きなヒンドゥー教寺院が姿を現した。
e0105808_15121369.jpg


 ここチャイナタウン界隈では,マレーシアの各民族のローカリティが渦巻くとともに,各民族が共存する姿も見えてくる。マレーシアの多民族国家としての一面を象徴する場所のひとつだろう。


 もちろん,クアラルンプールには東南アジア随一の近代都市としての一面もある。この街の象徴であるツインタワーは,昼も夜も誇りに満ちた輝きを放ち続けているのだった。
e0105808_15135499.jpg

e0105808_15142193.jpg

[PR]
by Asirope2 | 2007-02-10 15:07 | マレーシア

ペナンの味

 ペナンに着いた翌日は,ペナンの中心地であるジョージタウンを歩き回ってみた。ここペナン島はマレーシア中で最も華人の多いところで,人口の7割が華僑なのだそうだ。だから街を歩いていても,点心やワンタンメンなどの中華料理の店が結構ある。もちろんここはマレーシア,中国語の看板が多いのはどこでも共通だ。
e0105808_13432816.jpg


 そんな中で最初に行ったのがクーコンシ(邱公司)という中国寺。華麗な装飾の施された美しい寺だった。ただし寺の前には人力車がずらりと並び,休憩中の運ちゃんたちが大きな音でラジオの音楽を流していてちょっと興ざめ。
e0105808_13373925.jpg

 それでも寺に入ってしまえば落ち着いた雰囲気が漂う。タイやラオスのどこまでも派手な寺院とは異なり,華麗さと落ち着きが共存するのは中国ならではだろうか。
e0105808_1338593.jpg

e0105808_13382370.jpg

 中には小さな博物館が併設されていた。その中で第二次世界大戦中に関する記述が目を引いた。日本軍の空爆でこの寺も損傷を蒙ったらしい。これに対する日本軍からの補償は,「バナナ貨幣」と呼ばれた当時の現地の通貨でしか支払われず,戦後この貨幣は暴落して紙屑になったという説明があった。こういうのは,本当に重い気分になる。

 外に出て改めてこの美しい寺を眺めてみて,屋根の装飾が細かいところまで作り込まれているのに気付いた。なんと龍の髭まで作ってある。
e0105808_13425475.jpg


 このクーコンシからしばらく歩くとコーンウォリス要塞に至る。それほど遠くはないが暑いので汗だくになってしまう。ここはかつて,イギリスによる植民地支配のとっかかりとなった場所だという。大きな場所ではないが,この中に大砲がマラッカ海峡の海に向けて並べられているところがあった。
e0105808_133924.jpg


 こういう歴史の生き証人としての顔とは別に,ペナン島にはもうひとつの顔がある。マレーシア随一のグルメ天国としても,ペナン島は有名なのだそうだ。食堂が多いのはマレーシアのどこにでも言えることだけど,ここペナン島は屋台の数も多く,おいしいものが安く食べられる。

 たくさん並んだ屋台の中で,焼き鳥屋をのぞいてみた。マレーシアの焼き鳥はサテーといって,甘いタレをつけて焼いたものに,甘いピーナツソースをつけて食べる。以前仕事でマレーシアにいたころからの僕の好物だ。
e0105808_13391598.jpg

 ここの屋台の親父はやたら陽気で,カメラを向けるとポーズをとったり,中国語なまりの英語で色々と話しかけてきたりする。
e0105808_1340385.jpg

 そのうちこの親父の友人というのが現れて話に加わってきた。いつ来た,どこに泊まっている,ペナンの観光はしたか,どこを観て回るんだ,と立て続けに聞いてきては,色々と観光ポイントを教えてくれる。かと思えば,俺の息子はシンガポールで日系企業に就職して日本でトレーニングを受けた後,今はイギリスにいる,と教えてくれたりもする。

 そこでふと僕のテーブルを見て,屋台の親父に「おい,マイフレンドにお茶を出してやれ,俺にも一杯!」と言う。なんだかよく分からないうちに「フレンド」になってしまうのがマレーシア人の屈託のないところだ。ありがたくお茶を頂きながら,しばらく話し込んでいた。

 この屋台の親父が,近くの路地を入ったところに肉屋がある,面白いものがあるから行ってみろという。行ってみて驚いた。巨大な豚が,真っ二つに切られてぶら下がっていた。
e0105808_13402351.jpg


 このほかにもおいしい食べ物はたくさんあるけれど,ここペナンの名物はラクサという汁そばだろう。マレーシアで一般的にラクサといえばココナツミルクの入ったカレースープの麺料理を指すのだけれど,ペナンのラクサのスープは魚介類でダシをとって香辛料や香草を加えたもので,特にペナン・ラクサと呼ばれている。

 見た目は決してきれいとは言えない。ところが,その味ときたら! スパイスや香草,レモン汁などが効いていてさっぱりしているのに,風味はこの上なく豊かなのだ。日本でこんな味の食べ物はないだろう。まるで今まで使ったことのない味覚を刺激され,今まで動かしたことのない脳の部位を活性化させられたかのようだ。

 これは一度食べて本当にはまってしまった。もう病み付きだ。これを食べたいがためにペナン滞在を延ばそうかとさえ思ってしまう。それほどまでにおいしい。

 ただしこのペナンラクサ,万人受けする味ではないかもしれない。これを嫌いだという日本人は少なくないような気がする。カレーラクサだって仕事でマレーシアに滞在していたときからの好物だったけど,同僚にはあまり評判がよくなかったようで,好んで食べている人は僕以外にあまりいなかった。
 僕の心配性は視野が狭いと前に書いたけど,僕の味覚のストライクゾーンはものすごく広いのだ。

 そんなペナンラクサに後ろ髪を引かれつつも,先へ進むことにした。次の目的地は,ここペナンとクアラルンプールの中間に位置するイポーという街だ。
[PR]
by Asirope2 | 2007-02-08 13:44 | マレーシア