カテゴリ:マレーシア( 7 )

総集編(1)~ マレーシア

 今回の旅の第一歩はマレーシアのペナン島から。ゆったりと時間の流れる,華僑の街ジョージタウン。
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 ペナンからマレー半島を南下すると,東南アジア有数の大都会クアラ・ルンプールに辿り着く。この国が誇るペトロナス・ツインタワーが,街の中心に華やかにそびえ立つ。
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 一方には多民族国家マレーシアを象徴するような,チャイナタウンの風景。
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 かつて海のシルクロードを代表する中継港だったマラッカは,また複雑な近代史の流れに翻弄された街でもある。街の随所に残る,植民地マラッカの名残。
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 街の中央の丘には,かのザビエルが通い,そしてまた最期の場所となった聖ポール教会跡がある。
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 ここの石碑によって,ザビエルがその死後インドのゴアに送られ,埋葬されたことを知った。これが,この旅の前半戦の大きな伏線になった。



【マレーシア旅行情報(マレー半島部)】

・宿
 どんな街にも安宿がある。クアラルンプールはチャイナタウン,ペナンはジョージタウンのチュリア通りが安宿街として有名。ドミトリーで一泊10RM(350円)くらいから。

・食事
 マレー・中華・インドそれぞれの食堂があちこちにあり,選択肢の多さは東南アジア随一。選ぶのに困るほど。1食100円~。朝食にはインド式ロティ(パンにカレーソースをつけて食べる)がおすすめ。20円くらい。

・移動
 旅行者に人気のマレー鉄道はペナン島対岸のバタワースからシンガポール手前のジョホールバルまで,国を縦断している。エアコン付きの寝台は快適。路線自体はタイのバンコクからシンガポールまで延びていて,バンコクからシンガポールまでは乗り換え2回,最短で2泊3日かかる。
 その他,各都市間を結ぶ安価なバス路線が充実していて,移動に困ることはない(ただし中国正月の時期だけは交通機関が大混雑する)。

・言葉
 全国的に英語が相当通じる。英語か中国語ができればまず困らない。マレー語・英語・中国語を併記した看板はマレーシアならでは。

・宗教
 マレー系はイスラム,華僑は仏教(?),インド系はヒンドゥー教。チャイナタウンの関帝廟のすぐ向かいにドラヴィダ様式のヒンドゥー寺院があったりする。

・通信
 インターネットカフェはたいていの街にあり,速い。


 マレーシアの全記事はこちら。
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by Asirope2 | 2007-09-16 19:13 | マレーシア

縦走・マレー半島

 中国正月の大晦日にあたる土曜日,Goldrattさんとお会いした。Goldrattさんはマレーシアのペナン在住の日本人の方なのだけれど,僕が去年,この一連の旅を始めた直後から僕のブログを見てくださっている。今回僕がまたマレーシアに来ていることを知って,わざわざ僕にコンタクトを取り,ペナンから遠く離れたマラッカまで来て下さった。

 ブログの上ではお互いコメントを入れあったりして交流はあったというものの,直接お会いするのは初めてだった。どんな方かとちょっと緊張したけれど,大変気さくで親切な方だった。

 夕方お会いしてマラッカの観光名所をご案内したあと,市内の高級ホテルの和食レストランに行った。Goldrattさんからご自身もこういう旅がしたかったのだけれど,昔は今のように自由に旅行ができるわけでもなかったので替わりに応援していますと言われ,好き勝手に旅をしているだけの僕としては大変恐縮だった。

 「今日はIBAさんを応援に来ました。ご馳走しますから食べられるだけ食べて下さい。」とも言って下さってこれまた非常に恐縮だったが,あつかましくご好意に甘えることにした。ちょうどバイキングだった気安さもあって,寿司・刺身・ざるそばなど,目一杯お腹に詰め込んだ。
 普段は地元の安食堂でばかり食事をしていてそれはそれで満足なのだけれど,この日は日本語での会話も心ゆくまで楽しむことができ,Goldrattさんのお人柄もあいまって僕にとっては非常に心に残る一日となった。またどこかでお会いしてこの御恩返しをしたいものだ。
 食事を終えた後少し街を歩きながら話を続け,解散となった。


 その翌日の朝,僕はマラッカからマレー半島東海岸のメルシンという街にバスで移動した。これが,その後に続く一連の大移動の幕開けだった。

 マラッカを午前8時に発ったバスは,予定通り正午にメルシンに着いた。のどかな田舎町という表現がぴったりのところだ。
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 僕はメルシンの次はクアラ・トレンガヌという,メルシンよりだいぶ北にある街に行くつもりだった。クアラ・トレンガヌの沖合いには美しい島々があると聞いていたからだ。

 メルシンのバスターミナルに着いて,まずはそのクアラ・トレンガヌ行きのバスのチケットを買おうとしたが,中国正月の影響でチケットが取れない。バス会社の人からは,クアラ・トレンガヌの手前にあるクアンタンという大きな街まで行ったほうがバスがたくさんあるよ,と言われた。

 ところが,そのクアンタン行きのバスというのが,どれも夜の8時とか10時とかに出発する便ばかりなのだった。クアンタンに着いたら,深夜の乗り継ぎバスもたくさん出ているという。少し考えて,僕はその日のうちにクアンタンに行くことにし,その場でチケットを買った。

 同日の移動とはいえシャワーを浴びてゆっくりしたいので,メルシンの街中に移動してバックパッカー向けの安宿にチェックインした。昼食を摂り,シャワーを浴びたあとは夜の移動に備えて昼寝をする。

 午後7時半ごろにはこの宿をチェックアウトして,バスターミナルに向かった。バスターミナルの食堂で夕食をとった後,バスに乗り込んでいざクアンタンへ。さすがに夜も遅くなるので,クアンタンで無事にバスを乗り継ぐことができるか気にはなったが,いくら心配しても状況が変わるわけではない。向こうに着けばどうにかなるだろうと,バスの中では少し寝た。

 バスがクアンタンの大きなバスターミナルに着いたのは午後11時半頃。クアンタンのバスターミナルは地上階にバスのプラットホームが10本くらい並び,その上の階にチケットカウンターや食堂,売店などが入っていた。この時間ではさすがに人は少ないが,薄暗い中でそれでもまだいくつかのバス会社のチケットカウンターは開いていた。

 片っ端からクアラ・トレンガヌ行きのバスについて聞いて回るが,やはりどこも売り切れだという。そうして聞いて回るうちに,あるバス会社の人が,一人くらいなら何とか押し込めるんじゃないかな,と言ってくれた。バスの出発は午前1時だから,その15分前まで待っていてくれ,たぶん大丈夫だ,とのことだった。これが駄目ならクアンタンに泊まればいい。そう思って,1時間ほど待つことにした。周囲には深夜発のバスを待つマレーシア人が少なからずいたが,さすがに東海岸の街だけのことはあって,ほとんどがマレー系。中国系やインド系の人たちはほとんどいない。

 やがて午前1時前になったのでバス会社のカウンターに行ってみた。すると,「ごめんごめん,だいぶ粘ったんだけど,今日はもう一席も空いてないんだってさ。本当にごめん。」とバス会社のスタッフは平謝り。まあ仕方ない。今日はホテルを探すよ,どうもありがとう,とそのスタッフにお礼を言ってその場を離れた。
 そのとき,一人のマレー人のおじさんが僕に近づいてきた。

 おじさんは何か紙切れを手に持って,マレー語で話しかけてくる。どうやらこちらの行き先を聞いているらしい。クアラ・トレンガヌに行きたいんだ,と言うと,手に持った紙切れを僕に見せてくる。

 その紙切れは,バスのチケットだった。それで事情が飲み込めた。おじさんは自分が乗らなくなったバスのチケットの買い手を捜していたのだった。そのバスの行き先はコタバルという,マレーシア東海岸でも最北端の街だった。クアラ・トレンガヌよりだいぶ先だけれど,途中でクアラ・トレンガヌにも寄るという。バスの出発は午前1時。もうあと5分だ。

 25リンギットのチケット代は20リンギットでいいよ,とおじさんも必死に売り込んでくる。普通にトレンガヌ行きのチケットを買うよりも高いが,こっちだって困っていたところなので渡りに船だ。おじさんの言い値の20リンギットでOKし,商談成立。急いでバスに向かい,車掌にクアラ・トレンガヌで停車することを確認してバスに乗り込んだ。

 こうして,僕の“マレー半島東海岸縦走バスリレー”は間一髪,綱渡り的に辛うじてつながった。少なくともそのときはそう思った。


 バスに揺られているうちに,僕は寝入っていた。ふと目を覚ますと,時計は午前6時過ぎ。いやな予感がした。ガイドブックにはクアンタンからクアラ・トレンガヌまでバスで4~5時間と書いてある。バスは1時に出発したので,そのときにはもう5時間以上経っていた。深夜便なので道はガラガラ,バスがそんなに遅れるとも思えない。
 案の定,バスは僕が寝ているうちにクアラ・トレンガヌを遥かに過ぎ去っていたのだった。恐らく途中でクアラ・トレンガヌにも止まったのだろうけど,ドライバーのおじさんが何も言わなかったので,僕は気付かずに眠りこけていたのだ。

 こうなったら慌てても遅い。諦めておとなしくバスに乗り続けていると,やがて終着駅のコタバルに到着した。時刻は午前7時半,もう朝だ。

 バスは街なかに停まったので,まずは地図で現在地を確認する。どうやらバスターミナルが近くにあるようだ。クアラ・トレンガヌに戻るバスがすぐにあれば,それに乗って引き返してもいい。そう思って,ひっきりなしに言い寄ってくるタクシードライバーを追い返しながらバスターミナルに行ってみた。

 しかしここでも相変わらず,すぐにクアラ・トレンガヌへ行くバスはなかった。さすがにバス移動が続いて疲れも出てきたので,この日は近くの宿に泊まろうとその場を離れた。


 ところが,今度はその宿がなかなか見つからない。看板はあちこち出ているのに,まだ時間が早いのでどこも満室で,昼にならないと空室はないよと言われてしまう。僕のガイドブックに載っていた安宿に至っては,まだレセプションが開いてもいない。とはいえ,当面そこしか望みがないのでしばらく待つことにした。

 30分ほど経ってからレセプションに行ってみるが,まだ閉まっている。仕方ないので近くの食堂で朝食を摂る。そこで粘って更に30分経ったころ。また行ってみるが,駄目。更にもうひと頑張り,30分経ってから行ってみてもレセプションが相変わらず閉まっているのを見たとき,僕は衝動的にその場を離れた。バスステーションに向かい,そこに停まっていた一台のバスに僕は飛び乗った。

 そのバスの行き先は,クアラ・トレンガヌとは正反対の方向にあるランタウ・パンジャンという小さな町。タイとの国境の町だ。そして約1時間後,僕はマレーシアからタイに入国していた。
 僕のマレーシア東海岸の旅は,こうしてバス移動だけで幕を閉じたのだった。クアラ・トレンガヌの島を見ることができなかったという若干の後悔と,ずしりと重い疲労感が残った。


 2週間かけて南下したマレー半島を今度はわずか30時間足らずで北上した僕は,これでマレーシアに別れを告げてタイの最初の目的地・ハジャイへと向かった。
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by Asirope2 | 2007-02-20 11:48 | マレーシア

中国正月

 今年は2月18日が春節,つまり中国正月だ(西暦を基準にすると日付が毎年変わる)。この時期マレーシアでは中国系マレー人が国じゅうを大移動するので,飛行機や鉄道,長距離バスが大混雑する,と話には聞いていた。ただしあまり真剣に捉えてはいなかったので,東海岸の街メルシンへは今日行こうと気軽に考えていた。

 ところが,昨日ふと気になってバスターミナルへ行ってバスのチケットを予約しようとすると,これが売り切れていた。中国正月は日曜日なのだけれど,その直前の金曜日と土曜日はもう全く席が残っていないということだった。やられた。中国正月を少し侮っていた。
 こうなったら仕方がない。チケットの取れる日曜日,つまり中国の元旦に移動することにした。宿に戻ってこの話をすると,同じように東海岸へ行こうとしていた旅行者が困りきっていた。

 この時期,チャイナタウンでは街中がお正月飾りで覆われる。どこへ行っても,「新年快楽・恭喜発財」と書いた飾りや垂れ幕が見られる。「快楽」は中国語で“Happy”の意味だから,“新年快楽”は“Happy New Year”だ。“恭喜発財”の方はよくわからないけど,家が豊かになりますように,というくらいの意味だろうか。“財”の字が入っているあたりが中国らしくて面白い。

 ちなみにお正月の話とはずれるけど,少し前の14日はバレンタインデーだった。これを中国語では“情人節”というそうだ。“情人”は恋人という意味らしいので,日本語だったらさしずめ「恋人の日」というくらいの感じだろう。
 日本でもこの日は完全に商業化されていて,もともとどういう宗教的意味のある日なのか僕もよく知らないけれど,少なくとも名前だけはまだ「バレンタインデー」と名残を留めている。それが中国語になると,もう容赦なくストレートに“情人節”だ。中華的合理性,といったところか。

 ここマラッカのチャイナタウンは,クアラルンプールのそれに比べると随分小さくておとなしく,地味な印象を受ける。それでも,お正月飾りがこの街並みを華やかに彩る。
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 近くのショッピングモール内には舞台が設置され,楽団の演奏や漫才などの催し物が行われていた。
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 この春節,本家の中国では交通機関や宿が大混雑し,役所や店は閉まっていて旅行するのが大変だろう。マレーシアが多民族国家である有難さが,食べ物の種類の豊富さだけではないことを実感するのだった。
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by Asirope2 | 2007-02-16 16:20 | マレーシア

マラッカ海峡に夕日が沈む

 僕はかつて,数ヶ月間に渡ってここマレーシアに仕事のために滞在していたことがある。だからマレーシアに来るとどうしてもその頃のことを思い出してしまい,自分で選んだ道とはいえ,今は仕事をしていない自分の境遇と否応なく向き合わされるような気持ちになる。特にクアラルンプールには色々と思い入れがあり,僕にとっては思い出深い街であるがために,同時にまた内心の葛藤を覚えずにはいられない街でもある。
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 去年,仕事を辞めてすぐにマレーシアに来たときは,その葛藤に耐えられずにすぐタイに戻ってしまった。自分の中で,まだ充分に自分と向き合うだけの気持ちの整理ができていなかったのだろう。そういう経験があったので,今回こうしてまたマレーシアに来ることに,一抹の不安を感じていた。また息苦しい思いをしないだろうか。また逃げ出したりはしないだろうか。

 今回は,しかし,大丈夫だった。昨年末に一度日本に戻ってから今回再び旅立つまで,自分の中でこの旅に出ることについて,自問自答を繰り返していた。そして,今はとにかく前に進むことが大事なのだと自分なりの答えを出していた。
 その強い気持ちがあったので,今回はマレーシアに来てからも過去の自分と動じることなく向き合い,乗り越えることができたようだ。

 少し前までは,会社に勤めていた頃の自分と,現在の自分の間にまだ連続性があった。でも今では自分自身の変化が大きくなってきて,その連続性が失われつつあることを実感する。そのことに寂しさを感じないといえば嘘になるが,これが前に進むということなのだろう。
 いまは,道を続けよう。次の街へ移動するのだ。


 クアラルンプールの次に向かったのは,バスで2時間ほど南に走ったところにあるマラッカだ。ここはマレーシアでも有数の,歴史遺産にあふれた街だ。

 ここははるか昔から,「海のシルクロード」の重要な中継地点として栄えてきた。商業的な交易の舞台としてだけではなく,東西文化の流入口としての役割も担ってきた。マレー半島のイスラム教は,かつてイスラム化したインドからここマラッカへ船で渡ってきたものだという。

 また,インド・中国と直接航路がつながっているため人の往来も盛んになり,中国人やインド人の移住が促されたという。現在の多民族国家マレーシアの出発点となった街でもあるのだろう。
 さらに500年ほど前の大航海時代になると,その貿易上の重要性からポルトガル・オランダ・イギリスが相次いでこの地を支配した。

 そんな歴史を持つマラッカの街も,今は近代的に開けた大きな街だ。しゃれたショッピングモールなどもあり,そこだけ見ていると他のマレーシアの街と大きく変わるところはない。
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 そんな街なかから少し歩くと,歴史遺産地区に出た。スタダイスと呼ばれるオランダ統治時代の建物周辺は濃いピンク色の建物が立ち並び,花壇には色とりどりの花が咲き,全く雰囲気が変わる。ここにはキリスト教会もあった。
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 この一帯は丘の麓にあり,この丘を登ると今度はポルトガル人が立てたセント・ポール聖堂跡がある。階段を登るにつれ,その姿が見えてきた。
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 丘の上からはマラッカの街が見渡せる。そしてその街並の向こうに海が見えた。永きに渡って海上交通の要所であり続けている,マラッカ海峡だ。
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 このセント・ポール聖堂自体はそれほど大きいものではない。しかし今回ここへ来て初めて知ったのだけれど,かのイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルもこの聖堂に長く通い,更にここマラッカの地でその生涯を終えたという。遺体はしばらくこの聖堂に埋葬されたあと,改めてインドのゴアへ送られたのだそうだ。
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 聖堂の手前にある白い建物は,後にこの地を支配したイギリスが建てた灯台だという。
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 聖堂は既に屋根がなく,内部には日の光が直接差し込む。そこに文字を刻んだ石碑のようなものが並べられていた。
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 ポルトガルのセント・ポール聖堂といえばマカオにもあった。こちらはずいぶん大きな建物だったけれど,火災のために正面の壁一枚を残してあとは焼失していた。それを思い出しながらマラッカの聖堂を見るうちに,僕の想像力の中でかつてこの地に生きていた人々の息吹やざわめきがよみがえってくる。
 世界史の一部が僕の頭の中で少しずつ具体的な実感を伴って呼吸を始め,遠い昔の生き生きとした生命を取り戻し始めたかのようだった。

 この聖堂跡には夕方もう一度訪れた。マラッカ海峡に夕日が沈み,その夕日を浴びて聖堂が赤く染まる。人の世の営みがいかに変化しようとも,この聖堂自体は長く変わることなく,こうして一日いちにちを終えていくのだろう。
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 やがて聖堂は濃くなりまさる夕闇の中に沈んでいった。
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by Asirope2 | 2007-02-15 11:58 | マレーシア

クアラルンプール/チャイナタウン

 ペナンの次に訪れたイポーはかなり大きな街で,僕が勝手に想像していたような風情のある街というのとは少し違っていた。こんなことならペナン島にもう少し長く残ればよかったと思うことしきりだったけど,今さら後戻りもできない。これもまた旅。ここは一日滞在しただけで早々に次へ進むことにした。 
 イポーの次に向かったのはマレーシアの首都,クアラルンプール。東南アジア有数の大都市だ。

 イポーからのバスが到着するクアラルンプール(マレーシア人はKLと呼ぶ)のバスターミナルから歩くこと5分,目指すチャイナタウンが見えてきた。ここはKL有数の安宿街でもある。中国風の建物や装飾が入り乱れ,ここだけ突然雰囲気が変わる。ふと視線を上げると遠くに高層ビルが見え,ここがマレーシアであることを再確認する。
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 ここでは今回の旅に出て初めて,ドミトリー(相部屋)に泊まった。ドミトリーでは貴重品などの荷物管理が多少面倒ではあるけれど,安いことのほかに同じ部屋の旅人と様々な情報交換ができるという利点もある。

 さて,この宿のあるチャイナタウン,なかなか活気があっておもしろい。商魂たくましく,食欲旺盛な中国人のイメージをそのまま形にしたような場所だ。

 通りには時計や財布,香水,かばんや衣類などの“ブランド品”を“安く”売っている屋台がズラッと並ぶ。ロレックスの時計なら3000円。もちろんみんな偽物だ。
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 もちろん食べ物屋も多い。通りにベーコンのようなものを焼いて売っている店がたくさん並んでいた。炭火で焼いているので煙がもうもうと立ち昇るのだけれど,その煙は換気扇を使って通りに向けて勢いよく放たれる。
 においで客を釣る中華的巧妙的作戦なのかもしれないけれど,煙を当てられる通行人からすると正直なところちょっと勘弁してほしい。
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 もちろん普通の店も普通にある。食堂や雑貨屋,マンゴーやパパイヤ他たくさんの南国の果物を売る店なども多い。そんな通りを華人だけでなく,マレー系やインド系の人たちも行き交い,多民族国家ならではの風景と独特の雰囲気を作り出している。
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 なぜかサンタクロースの帽子をかぶったおじさんが歩いていた。
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 少し細い通りを入っていくと,生鮮食品を売る市場になっている一画があった。細い路地に肉や野菜を売る店がたくさん並んでいる。
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 ここの市場の鶏肉売り場はなかなか強烈だった。どの店も商品の鶏肉が並ぶ台の下は鳥籠になっていて,生きた鶏が押し込められている。喧騒の中から鶏の鳴き叫ぶ声がするのでそちらを振り向くと,籠から一羽の鶏がつかみ出されるところだった。
 店の親父はその鶏をそのまま秤に乗せ,客にこれでいいかと訊く。客も当たり前の様子でいいよと返す。すると親父はその場で鶏の首に包丁の刃を当てたのだった。

 いわゆる発展途上国と呼ばれる国々を旅していると,人と自然との距離というのを考えずにはいられない。
 ここで見たような家畜から食肉への処理の過程は,いわゆる先進国ではほぼ完全に隠されているので普段僕たちが日本で目にすることはない。
 しかしこうして実際にひとつの命がわれわれ人間の食べ物へと処理されるところを目の当たりにすると,人がいかにたくさんの命を頂いて生きているかということを実感する。そうしなければ人間は生きていけないのだ。人は自然界の膨大な生命に直接・間接に支えられている。
 こういうことを考えると,食べ物を大事にしないといけないということの意味が僕にはよくわかる。

 こういう食肉の処理を表に出すのが野蛮だとか残酷だとかいう考え方は,僕は表層的でしかないと思う。確かに生命を奪うのは残酷なことだ。ただ,繰り返すが人間はそうしないと生きていけない。むしろこういった処理が裏で行われていることを忘れ,平気で食べ物を無駄にするほうがよほど野蛮で傲慢な行為だろう。


 この他に「先進国」で隠されているのは人の死と排泄行為だろう。でもインドに行けば公共の場であるガンジス河の河畔で,亡くなった人々の遺体を焼き,河に流している。
 また,東南アジアやインドなど,世界の多くの地域ではトイレットペーパーを使わずに自分の手と水をつかって直接お尻を洗う。
 こういう社会の中に入ってみると,人と自然との距離がぐっと近くなるような印象を覚える。そしてそういうことを考えていると,人間が自然の一部なのだということに簡単に気が付く。そもそも,人と自然が対立する概念だと考えるのは,地球全体ではかなり少数派なのではないか。


 色々と考え込みながら歩いていると,チャイナタウンのはずれにきた。ここでは突然大きなヒンドゥー教寺院が姿を現した。
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 ここチャイナタウン界隈では,マレーシアの各民族のローカリティが渦巻くとともに,各民族が共存する姿も見えてくる。マレーシアの多民族国家としての一面を象徴する場所のひとつだろう。


 もちろん,クアラルンプールには東南アジア随一の近代都市としての一面もある。この街の象徴であるツインタワーは,昼も夜も誇りに満ちた輝きを放ち続けているのだった。
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by Asirope2 | 2007-02-10 15:07 | マレーシア

ペナンの味

 ペナンに着いた翌日は,ペナンの中心地であるジョージタウンを歩き回ってみた。ここペナン島はマレーシア中で最も華人の多いところで,人口の7割が華僑なのだそうだ。だから街を歩いていても,点心やワンタンメンなどの中華料理の店が結構ある。もちろんここはマレーシア,中国語の看板が多いのはどこでも共通だ。
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 そんな中で最初に行ったのがクーコンシ(邱公司)という中国寺。華麗な装飾の施された美しい寺だった。ただし寺の前には人力車がずらりと並び,休憩中の運ちゃんたちが大きな音でラジオの音楽を流していてちょっと興ざめ。
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 それでも寺に入ってしまえば落ち着いた雰囲気が漂う。タイやラオスのどこまでも派手な寺院とは異なり,華麗さと落ち着きが共存するのは中国ならではだろうか。
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 中には小さな博物館が併設されていた。その中で第二次世界大戦中に関する記述が目を引いた。日本軍の空爆でこの寺も損傷を蒙ったらしい。これに対する日本軍からの補償は,「バナナ貨幣」と呼ばれた当時の現地の通貨でしか支払われず,戦後この貨幣は暴落して紙屑になったという説明があった。こういうのは,本当に重い気分になる。

 外に出て改めてこの美しい寺を眺めてみて,屋根の装飾が細かいところまで作り込まれているのに気付いた。なんと龍の髭まで作ってある。
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 このクーコンシからしばらく歩くとコーンウォリス要塞に至る。それほど遠くはないが暑いので汗だくになってしまう。ここはかつて,イギリスによる植民地支配のとっかかりとなった場所だという。大きな場所ではないが,この中に大砲がマラッカ海峡の海に向けて並べられているところがあった。
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 こういう歴史の生き証人としての顔とは別に,ペナン島にはもうひとつの顔がある。マレーシア随一のグルメ天国としても,ペナン島は有名なのだそうだ。食堂が多いのはマレーシアのどこにでも言えることだけど,ここペナン島は屋台の数も多く,おいしいものが安く食べられる。

 たくさん並んだ屋台の中で,焼き鳥屋をのぞいてみた。マレーシアの焼き鳥はサテーといって,甘いタレをつけて焼いたものに,甘いピーナツソースをつけて食べる。以前仕事でマレーシアにいたころからの僕の好物だ。
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 ここの屋台の親父はやたら陽気で,カメラを向けるとポーズをとったり,中国語なまりの英語で色々と話しかけてきたりする。
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 そのうちこの親父の友人というのが現れて話に加わってきた。いつ来た,どこに泊まっている,ペナンの観光はしたか,どこを観て回るんだ,と立て続けに聞いてきては,色々と観光ポイントを教えてくれる。かと思えば,俺の息子はシンガポールで日系企業に就職して日本でトレーニングを受けた後,今はイギリスにいる,と教えてくれたりもする。

 そこでふと僕のテーブルを見て,屋台の親父に「おい,マイフレンドにお茶を出してやれ,俺にも一杯!」と言う。なんだかよく分からないうちに「フレンド」になってしまうのがマレーシア人の屈託のないところだ。ありがたくお茶を頂きながら,しばらく話し込んでいた。

 この屋台の親父が,近くの路地を入ったところに肉屋がある,面白いものがあるから行ってみろという。行ってみて驚いた。巨大な豚が,真っ二つに切られてぶら下がっていた。
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 このほかにもおいしい食べ物はたくさんあるけれど,ここペナンの名物はラクサという汁そばだろう。マレーシアで一般的にラクサといえばココナツミルクの入ったカレースープの麺料理を指すのだけれど,ペナンのラクサのスープは魚介類でダシをとって香辛料や香草を加えたもので,特にペナン・ラクサと呼ばれている。

 見た目は決してきれいとは言えない。ところが,その味ときたら! スパイスや香草,レモン汁などが効いていてさっぱりしているのに,風味はこの上なく豊かなのだ。日本でこんな味の食べ物はないだろう。まるで今まで使ったことのない味覚を刺激され,今まで動かしたことのない脳の部位を活性化させられたかのようだ。

 これは一度食べて本当にはまってしまった。もう病み付きだ。これを食べたいがためにペナン滞在を延ばそうかとさえ思ってしまう。それほどまでにおいしい。

 ただしこのペナンラクサ,万人受けする味ではないかもしれない。これを嫌いだという日本人は少なくないような気がする。カレーラクサだって仕事でマレーシアに滞在していたときからの好物だったけど,同僚にはあまり評判がよくなかったようで,好んで食べている人は僕以外にあまりいなかった。
 僕の心配性は視野が狭いと前に書いたけど,僕の味覚のストライクゾーンはものすごく広いのだ。

 そんなペナンラクサに後ろ髪を引かれつつも,先へ進むことにした。次の目的地は,ここペナンとクアラルンプールの中間に位置するイポーという街だ。
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by Asirope2 | 2007-02-08 13:44 | マレーシア

ミニAsirope

 バンコクで2泊した後,バンコク・ホアランポーン駅へ向かった。ここはタイ全土への鉄道の出発点であり,またバンコクからシンガポールへ至るマレー鉄道の出発点でもある。行き先はマレーシア北部のバタワースという駅。ここからフェリーに乗れば,今回の目的地であるペナン島にはすぐに着く。これは,去年の旅でタイからマレーシアに移動したときと同じルートだ。


 バンコクからバタワースまではこの列車で約24時間かかる。電車の出発時刻は午後2時45分。正午にホテルをチェックアウトして,12時半頃には駅に着いた。
 ちなみに駅まで行くのに地下鉄を使ったが,地下鉄駅の入り口で警官が荷物検査をしていた。年末年始のバンコク爆弾テロの影響だろうが,バンコクでこんなのを見るのは初めてだった。

 出発まで間があるので,初めてこの駅のフードコートを使ってみた。ここにはいろんな種類の食べ物を出す店が並んでいる。観光客向けのレストランではなく,雰囲気は完全に屋台街だ。最初にクーポン券を買ってから店で注文するということを除けば,普通の屋台と変わりはない。当分タイ料理は食べ納めということで,大好物の汁そばを食べた。
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 スープが黒いのは牛の血が入っているからだ。今回初めてこの「生血スープ」を試してみたけど,予想に反してくどさも生臭さもなくおいしかった。


 ホアランポーン駅の駅舎は大きくて立派だ。僕はバスよりも電車に乗る方が好きなので,この駅に来るのが好きだ。
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 列車は定刻に発車した。大都会バンコクから一時間も走ると,周りは急にのどかな農村の風景になる。牛が草を喰み,鶏が駆け回っている。上半身裸の男たちが木陰に寄り集まって話をしている脇で,子供たちは水遊びに興じている。収穫の終わった田んぼを焼く煙が,遠くに近くに幾筋も立ち昇る。
 全てがガチガチに固まった日本の都市社会からこういうところにくると,自分の思考を縛り付けている鎖が一本ずつ解きほぐされていくようで心地良い。

 夜行列車では日が暮れてしまうとすることがなくなる。午後8時頃にはベッドメイキングも終わるので,ごろんと寝転んでガイドブックを眺めつつこの先のルートを考えていると,やがて眠たくなってくる。僕は9時半頃にはもう寝ていた。

 翌朝は7時前に目が覚めた。電車がどこかの駅に停まると物売りのおばさんたちが朝ごはんを入れた籠を手に電車に乗り込んでくる。鶏の唐揚げともち米を炊いたものを買い,簡素ながらおいしい朝食を楽しむ。


 この列車は途中でタイ-マレーシア国境を越える。その国境駅であるパダン・ブサールには予定を1時間半過ぎて到着した。ここで出入国審査と,ついでに両替を済ませればいよいよマレーシア入国だ。ここまでくると空気のにおいが,タイのにおいからマレーシアのそれに変わってくる。においを言葉で説明するのは難しいが,このにおいを浴びるとマレーシアに来たことを実感する。

 再び走り始めた電車の窓の外には,広い田畑や生い茂るヤシの木が交互に現れる。そうやって広がる景色を眺めていると,自分の旅のイメージがどんどん膨らんできた。せっかくマレーシアに来たのだから,今まで行ったことのない街にもどんどん行ってみよう。これまで全く足を踏み入れたことのないマレー半島の東海岸はどんなところだろう? かつて訪れたことのある街だって,今また改めて行ってみるとまた違った風景が見えるかもしれない。せっかくだから,マレー半島をぐるっと一周してみたらどうだろう?!

 とりとめもなく想像が膨らむうちに,自分の心の中で,旅の好奇心や緊張感,注意力と行動力,そういった一つひとつの歯車がガッチリと噛み合って力強く回り始めるのを感じた。日本を出るときは気合ばかりが先走っていたのが,ここへ来てようやく本当に旅をしているという充実感に満たされてきた。


 終着駅バタワースに着いたのはやはり予定を1時間半過ぎた頃だった。でもここは東南アジアだ。そんな遅れが何だというのか。意気揚々とフェリーに乗り込む。対岸にはペナンの中心地ジョージタウンの街並みが見える。
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 10分ほどでペナンに到着。地図を見なくても道や景色は完全に覚えていた。ここマレーシアはバンコクと違って完全に真夏の暑さだ。そんな中をしばらく歩いて安宿街に辿り着き,去年も泊まった安宿にチェックイン。宿の陽気な親父も相変わらずだった。

 シャワーを浴び,宿の近くの食堂で久々のマレー料理を食べながら,ふと思い付いたことがあった。
 ここマレーシアには華人もいればインド系の人たちもいる。そしてこの国自体がかつて欧州列強の植民地支配(もちろん日本の軍政支配を受けたことも忘れてはいけないが)を受けた歴史を持つ。この国を旅することは,それだけで「ミニAsirope旅行」と呼んでもいいものじゃないだろうか。
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by Asirope2 | 2007-02-05 18:58 | マレーシア