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総集編(6)~ キルギス

 中国からカザフスタンを経由してキルギス入り。山国ならではの美しい風景が存分に楽しめる。首都ビシュケクでの定宿サクラゲストハウスを拠点にして,大好きなソンコル(ソンキョル,ソンクルとも言う)へ行った。

 まずは山の麓のコチコルで一泊。のどかで静かな村。
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 翌日,3500mほどの峠を越えて,いよいよソンコルへ。標高3000メートルの地点にあるこの湖に周辺は,現地の人々が夏の間の放牧地として利用している。
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 宿泊場所はこのユルタ(いわゆるゲル)。
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 キルギス滞在中,このソンコルには2度行った。特に2度目は天候も良く,本当に美しかった。
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 そして景色に負けず劣らず素晴らしいのが,子供たちの笑顔!
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 電気もガスもないこの場所では,夜になるとものすごい星空が楽しめた。


 ビシュケクから南の主要都市オシュへ向かう峠道。キルギスの二大都市をつなぐ幹線道路は風景が非常によく,キルギス屈指の観光コースでもある。
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 途中の山あいにサル・チェレックという小さな湖がある。訪れる旅行者も少なく,まだまだ神秘の湖だ。
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 大好きなこのキルギスで2ヶ月近くを過ごした。中国・インドより長い滞在になってしまった。

【キルギス旅行情報】

・宿
 どんな街にも一応宿はある。問題は数が少ないのと,どれが宿が分かりにくい点。“ガスティーニッツァ(ロシア語でホテルという意味)”と地元の人に聞くのが一番。旧ソ連公営の宿ではいまだ外国人料金が設定されていることもある。
 最近ではCBTという組織が,地方都市での民泊を斡旋している。一泊250ソム(750円)くらい。英語も通じるので便利。
 ちなみに首都ビシュケクのサクラゲストハウスは,僕の一連の旅の中で最も居心地のいい宿だった。

・食事
 典型的な中央アジア料理。ラグマン(汁そば),プロフ(チャーハン),シャシリク(羊肉の串焼き),ペルメリ(スープ餃子),マンティ(肉まん)など。ビシュケクには中華料理屋もいくつかある。
 夏から秋にかけて出回るラグビーボール型の巨大メロンは一度食べると癖になるほど甘くておいしい。買うときは柔らかいものを選ぶと甘い可能性が高い。余りに大きいので躊躇するかもしれないけど,他の旅行者と分け合ってでも(あるいは大半を捨てる覚悟ででも)食べる価値あり。特にオシュで買うと安い。

・移動
 街なかの移動はマルシュルートカと呼ばれる乗合いのミニバスが主。一乗り5ソム(15円)くらいで,路線も多く便利。市内のタクシーは外国人にはふっかけてくる。都市間の移動は乗り合いタクシーがほとんど。値段交渉が面倒。バスはほとんどない。

・言葉
 キルギス語かロシア語。CBTや旅行代理店を除けば,英語はまず通じない。“ホテル”という言葉さえ通じないことがあるので,ロシア語の基本単語を覚えるしかない。キリル文字が読めるようになると強い。

・宗教
 キルギス系はイスラム教,ロシア系はキリスト教(ロシア正教)。ただしムスリム色はそれほど濃くない。

・通信
 インターネットカフェは大きな街ならたくさんある。ただし通信は遅く,また日本語が使えない場所も多い。

・ビザと滞在登録
 日本人はビザ不要。ただし入国後3日以内に役所での滞在登録が必要で,オヴィールという役所で手続きすれば30日間滞在可(最近になって日本人は滞在登録が不要になったという情報もあるので,最新情報は各自で確認してください)。

・備考
 治安面で注意が必要。どこの街でも酔っ払いが多く,ときどきからまれることがある。また,ビシュケクやオシュでは警官が職務質問の際に“所持品検査”を行い,財布からお金を抜き取ることがある。滞在登録は早めに済ませ,常時パスポートを携帯すること。バザールにはスリや観光客狙いのニセ警官もいるので油断は禁物。
 ビシュケクのオシュバザールの両替屋では紙幣の数をごまかされることもあるので要注意。必ず自分で数えて,足りなければ強気で文句を言う。
 こんな風に問題も多い国だけれど,自然の風景の美しさは一級品。地方の人々も素朴で親切。ぜひ自分の目で見てほしい国の一つ。CBTはこの国の観光振興を図って組織されたNGO。旅行者に対して親切に,誠実に対応してくれる。スタッフは英語を流暢に話す上,最近ではオフィスも増えてますます便利になっている。

 キルギスの旅の全記事はこちら。
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by Asirope2 | 2007-09-19 13:12 | キルギス

さよならビシュケク

 ようやくビシュケクを離れた。キルギスに入ってからこれまでの1ヵ月半,行動の拠点となった,というよりは沈没の現場と言う方が正確だけれど,サクラゲストハウスを離れるのにはかなりの日数とエネルギーが必要だった。
 ウズベキスタンのビザが取れてからも,結局1週間近くもビシュケクでだらだらと時間を過ごしてしまったのは,何といってもサクラゲストハウスが僕には特別な場所だったからだ。今回の滞在中に出会った旅人たちが何人も,別の国を回ってからまたサクラに戻ってきていたので,これは僕だけの感想ではないだろう。それほどまでにサクラは居心地がいい。オアシス都市ビシュケクの中でも,極め付けの旅人のオアシスだ。

 サクラにいて,僕を含めた多くの旅人はこれといって何かをやっているわけではない。僕が朝早く起きて静かに音楽を聴いたり朝食を作って食べたりしていると,だんだん明るくなるにつれて(ときには日が高く昇ってからようやく)一人また一人と他の宿泊客が起き出してくる。
 そんな彼らと言葉を交わした後,一人で,あるいは何人かで連れ立ってオシュバザールへ買い出しに行くことも多かった。いつもの肉屋で肉の塊を2kgほど買い,いつもの八百屋で白菜や葱を買う。最後にいつものキノコ屋へ行ってキノコを1kg買う。あとはたまに米を買ったり蚊取り線香を買ったりして,サクラに戻る。

 バザールから戻ってくるとだいたい全員が起き出して顔ぶれがそろうので,サクラのオーナーも交えてお茶を飲みながら旅の話にふける。ビザの情報,国境情報,治安情報などを交換しながら,サクラの中庭で世界を廻るのは楽しい時間だ。

 昼を過ぎると多くの宿泊客が外出するので人が減る。僕もインターネットカフェに行ったりもするけれど,静かな時間にお茶を飲みながら将来の仕事のことに思いを巡らせたり,数少ない他の宿泊客と話をしたりすることも多かった。

 午後3時を過ぎると僕の頭の中は夕食のメニューと調理の段取りのことで慌しく回転し始める。大まかなメニューは買出しのときに固まっているけれど,食べる人の数と手持ちの食材を思い浮かべながら,ここでメニューと作る量と段取りを細かく決めてしまわないといけない。多いときには10人を越える人間が食べるので,大鍋をオーナー夫人に借りることから始まって,きっちり計画しておかないと影響が大きいのだ。

 ビシュケクでは日が暮れるのが遅いので,夕食はだいたい8時過ぎを目標にして,午後5時くらいから作り始める。このあたりが一日のうちで僕が一番活動的になる時間帯で,たいていは他の客にも手伝ってもらいながら肉塊をスライスすることから作業が始まる。こっちの肉は骨付きなので,これが一番手間が掛かる。
 肉を切り終わったら,残った骨でダシを取りながら野菜を切り,米を洗い,必要な準備が終わったらいよいよ調理にかかる。他の人達はどんな料理が出来上がるのか,この段階ではまだ分からない。でも僕の頭の中にはちゃんとイメージが出来上がっていて,あとはそこへ向かって一直線に進んでいくだけだ。

 余談だけれど,キルギスに来てから鍋でお米を炊くのが本当にうまくなった。大きな鍋でも小さな鍋でも,水加減・火加減ともにまず失敗することがない。はじめの頃に比べても,ずいぶんふっくらと炊き上げることができるようになったと思う。

 料理をする時間の中で一番面白いのは,何といってもクライマックスだ。ご飯の炊き上がりと,主菜や副菜の出来上がりの時間をあわせて一気にテーブルに全てを並べると,待っていた人達から「おーっ!」という声が上がる。そのまま食事に突入し,それまで騒がしかったテーブルの周囲が急に静かになると,このときこそが僕の勝利の瞬間だ。会話を忘れて夢中で食べている人を眺め,あっという間に減っていく料理を見るのは,僕にとっては美味しいご飯を食べること以上の,まさに至福のひとときだった。


 食事を終えると大抵いつもみんなが後片付けをやってくれて,その後はまたお喋りの時間になる。毎日まいにち,酒を飲みながら旅のこと,世界の国々のこと,人生のことについて語り合う。サクラで何よりもみんなが活き活きとする時間だ。色々な旅人が絶えずやってきては立ち去るので,メンバーはほとんど毎日入れ替わっていたけれど,この光景は毎晩変わらず繰り返された。


 このサクラでの日々は,怠惰だったと言えば確かにどうしようもなく怠惰だった。世界各国からの旅人と話をして視野を広げるとか,腰を落ち着けて今後の生活のことを考えていたとか,一見それらしい言い訳はあるにしても,それは結局のところ単なる言い訳に過ぎないという一面が確かにあり,僕がサクラゲストハウスの居心地の良さに沈みきっていたことは明らかだ。
 でも,そうであったとして,これほど多くの出会いのある場所に出会えたということ自体が非常に幸せなことであることもまた事実だ。旅の出会いは一期一会ではあるけれど,その中で出会った旅人と交わした言葉のいくつかは確実に僕の中に蓄積され,いつか芽を出す時が来るのを待っている。これは観光とは異なる,長旅ならではの楽しみの一つなのだ。


* * *

 そんな心地よい時間は,しかしいつまでも続くわけではない。サクラを立ち去る日はいつか必ずやってくる。いよいよ旅立ちだと心を決め,明日出発するといいながら夜になるとやっぱりもう一日と延期するということを何度か繰り返した後,とうとう出発した。思い出と思い入れいっぱいのサクラをあとにして,僕はオシュへと向かった。オシュからはウズベキスタンとの国境が近いのだ。

 サクラを去るとき,愛娘さくらちゃんを連れたオーナーのヨシさんと,仲の良かった旅行者のタカさんがバス停まで見送りに来てくれた。バスは来ないときはなかなか来ないくせに,こういうときにはすぐに来る。名残は尽きないけれど,二人(とさくらちゃん)に見送られながら荷物を担ぎ,バスに乗り込んだ。
 バスが発車しても二人はずっと手を振り続けてくれた。向こうからバスの中の僕が見えていたかどうかはよく分からないけれど,僕からはどんどん小さくなる二人の影がよく見えた。顔が判らなくなるくらいバスが遠く離れても,まだ手を振っている。でもその二つの影もやがてビシュケクの豊かな街路樹の葉に飲み込まれ,その葉もすぐに後ろの車の陰に隠れた。

 バスは見慣れた道を走り,いつものようにオシュバザールに到着した。ここからオシュへ向かう乗り合いタクシーが頻発しているのだ。普段なら買い物に急ぐ道を,今日は重い荷物を担いで歩き,一台のタクシーに乗り込んだ。タクシーの相客も間もなくそろい,車はビシュケクを後にした。


 タクシーはかつて通った道を今回も快調に走った。天気は上々だったけれど,最近は好天続きで空気が少し霞んでいる。それでも山道をどんどん登り,標高3000メートルほどの峠を越えるあたりから一気に景色が良くなってくる。

 前にサル・チェレックの湖へ向かってここを通ったときには,周囲は一面の草原が緑に輝いていた。ところが今回は,その草原の緑のかなりの部分が黄色に置き換わっていて驚いた。前にここを通ったときから1ヶ月近い時間が経ち,その間に確実にキルギスの山は夏から秋へと季節を変えていたようだ。この分ではソン・コルもずいぶん様子が変わっているに違いない。キルギスの山の夏が短いのか,僕のサクラ沈没が長かったのか。

 草原を走り過ぎると,やがて見覚えのある湖が見えてきた。トクトグルのダム湖だ。以前見たときに比べて相当水量が減っている。ずっと雨が少なかった影響だろう。でも湖面は青くて相変わらず美しかった。
 トクトグル湖から更に進むと,小さな街に出た。サル・チェレックに向かう途中に一泊したカラコルの街だ。懐かしさを憶えながらタクシーの窓から外を眺めていると,泊まったときに夕食を摂ったカフェがふと目に入った。何組かの客が食事をしているのが見えた。
 ふと,なんとなくその中に,今もまだユリさんとタクシードライバーの二人とともにご飯を食べている僕がいるような気がした。幻の僕はいつまでもそこでご飯を食べ続け,現実の僕はそこを通り過ぎて先へ進んでいく。


 この日乗った乗り合いタクシーは,カラコル手前から調子が悪かった。どうやらラジエータの部品がやられているようで,カラコルを少し過ぎたところにある自動車修理屋で修理をすることになった。他の客と1時間ほど修理が終わるのを待つ。キルギスではみんな古い車を山道で猛スピードで乗り回すので,よく故障する。ビシュケクとオシュの間を走っているとエンジンルームを開けている車にしょっちゅう出くわすけれど,今回は僕がその車に当たってしまった。

 修理が終わって車は再び快調に走り出したけれど,ものの10分もしないうちにまた止まってしまった。エンジンルームから水が噴き出してきたので何事かと思ったら,ラジエーターの水タンクとチューブをつなぐバルブが完全に割れていた。こうなるともうどうしようもない。ドライバーは通過する車を停めてヒッチし,修理屋を呼びに街へ戻っていった。


 ドライバーはなかなか帰ってこない。することもないので他の客と話をしたり周りの景色を眺めたりするうちに,日もどんどん傾いていく。1時間半ほどしたころに,ようやくドライバーと修理屋が戻ってきた。交換部品もないのでとりあえずの応急処置しかできない。
 なんとか再び走れるようにはなったけれど,車はとても本調子では走れない。ドライバーは調子の悪そうなエンジンをなだめすかしながら再び長い前途に乗り出すほかなかった。車に乗っている僕はといえば,迫ってくる夕闇を眺めながらいったい何時になったら到着するのだろうかとため息をつくだけだった。

 車は調子悪そうに,しかし止まらずに最後まで走り続けてくれた。途中ドライバーはラジエーターの水を補給するために何度も停まる。おかげで到着はどんどん遅くなり,結局オシュに着いたのは午後11時半だった。前回と同じホテルまで車で行ってもらい,何とか日付が変わる前にチェックイン。シャワーを浴びてベッドに倒れこんだ。
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by Asirope2 | 2007-08-28 21:26 | キルギス

ビシュケク・ビザ取得狂騒曲

 ようやく昨日,ウズベキスタンのビザが取れた。かれこれ2週間以上かかっての取得なので待ちくたびれてしまったけれど,やっぱり嬉しいものだ。このウズベキスタンビザ,ちょっと特殊な事情も絡んで,人によってはかなりの面倒を引き起こしていた。


 折しも去る8月16日,ここキルギスのビシュケクで「上海協力機構」という国際会議が開かれた。ロシアのプーチン大統領や中国の胡錦トウ国家主席をはじめ,周辺諸国の要人が集まって,この地域の安定と発展とやらについて話し合ったらしい。最後には「ビシュケク宣言」なるものを発表して終わったという。間接的にではあるけれどこの地域の駐留米軍の撤退を要求したとかしないとか。

 キルギスが国際政治の場として注目されることなんてほとんどないと思うので,これはこれで無責任な一旅行者としては面白い見物だった。報道では,この機構内での中国とロシアの主導権争いが今後激しくなるだろうとあったので,そのあたりに小国キルギスが開催地となった理由がありそうな気もするけれど,何はともあれ,ビシュケクのメインストリートやハイアットホテル周辺で10メートルおきに並ぶ数多の警官たちや,ビシュケクで今まで一度も聞いたことのなかったヘリコプターの爆音などは,暇を持て余す僕たちグウタラ旅行者には格好の話題となった。


 問題は,この会議の開催が旅行者に少なからぬ悪影響を与え続けたことだ。その最たるものは何かと言えば,会議期間中のビシュケク空港の閉鎖だろう。しかもこれが決まったのが何と会議の2日前。日本からの短期旅行者が帰国しようと空港へ向かうと,空港はガランとしていて全てのフライトが欠航になっていたそうだ。リコンファームまで終えていて安心しきっていたその旅行者は,慌てて市内の航空会社オフィスへ出向き,代替便の手配に奔走していた。僕らのような長期旅行者と違って日本で仕事を持つ短期旅行者の苦労と焦りは察して余りあるものがあった。

 これが仮に日本なら,こんな突然の空港閉鎖はあり得ないだろう。これは僕の想像だけど,恐らくキルギス当局の関係者が会議開催の準備をしている中で,直前になってふと空港を閉鎖しないといけないことに気付いたのではないか。あるいはもっとありそうな話として,早くから空港閉鎖が決まっていたのに関係諸機関の連携が悪く,誰もその指示を出していなかったのかもしれない。
 いずれにしても,直前に強権発動して空港を閉めてしまったというあたり,いかにも旧ソ連のお国柄だという気がする。


 この国際会議の開催は,他ならぬビザ取得にも大きく影響した。ウズベキスタンやタジキスタンなど,周辺の中央アジア諸国もこの会議に参加していたため,各国大使館はその準備や要人の接待に掛かりっきりとなってしまい,つまらぬ旅行者たちなどに見向きもしなくなってしまった。早い話が,会議期間前後の大使館閉鎖だ。
 ウズベキスタンの場合,通常なら申請から1週間ほどで取れるビザが,今回2週間ほどかかってしまったのもこの影響だ。でも僕の場合はまだいい方だった。旅行者の中にはビザの受け取りを会議翌日の17日と指定された人達がいた。実はこれは大使館の担当者が軽率だったための誤りで,17日に大使館に行ったら大使館は閉まっていたそうだ。

 ウズベキスタン大使館でビザ申請をするときに一つ厄介なのは,門番がその日の来場者リストを持っていて,そこに載っていない人間は大使館に入場できないことだ。17日にビザを取り損ねた旅行者たちが翌日あらためてウズベキスタン大使館に出向いたところ,何と前日の来場者リストが持ち越されておらず,彼らは中に入れなかったらしい。門番相手にいくら粘っても無理で,結局何も得ることなく彼らは戻ってきた。彼らのうちの一人はそのとき風邪を引いていて,フラフラになりながら大使館へ行ったのに大変だったとこぼしていた。やっぱりこれも,旧ソ連。


 そんなウズベキスタン大使館も,週が明ければ一応ちゃんと業務を再開したらしい。今回は周到に電話で入場を予約していた例の旅行者たちと一緒に大使館に行くと,今度はちゃんと中に入れてくれて,無事にビザが発給された。ビザを受け取った旅行者たちはみんな顔一杯に喜びの表情を浮かべていた。かくいう僕も,特にトラブルはなかったとはいえ,長く待たされただけにビザが出たということが単純に嬉しかった。
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 そんなこんなで必要なビザも全て揃い,次へ進む準備も整った。やっと,ウズベキスタンだ!
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by Asirope2 | 2007-08-22 18:47 | キルギス

ソン・コル再び

 先月訪れたソン・コルにまた行ってきた。先月行ったときには天候が今ひとつだったので,また行こうとずっと思っていた。去年行ったのとあわせると通算で3回目。こんなに何度もソン・コルに行く人間も珍しいようで,宿泊の予約を入れに行ったとき,これで3回目だと言うと相手のスタッフに可笑しがられてしまった。でも僕にとってはそれほど大切な場所なのだ。
 そうして行ってみたソン・コルはどうだったかというと,これ以上はないというほどの抜群の天候に恵まれ,これまでで最も美しい表情を見せてくれたのだった。

 ソン・コルについてはこのブログでも既に書いているのでもう繰り返さない。相変わらずの青と緑が美しい。
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 ここでは馬の乳搾りを見ることができる。馬は人になかなか乳を搾らせないと聞いたことがある。そうでなくても,これはなかなか珍しい光景だろう。馬乳を発酵させて作るクムズ(馬乳酒)はキルギスの国民的な飲み物だ。夏場は国中どこでも売っている。かなり酸味の強いヨーグルトのような味で,微妙な炭酸を舌に感じる。
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 前回と異なることといえば,雲が全くなかったために素晴らしい夜空が楽しめたことだ。こぼれそうなほどたくさんの星の中,南から北へ巨大な天の河が天空を貫き通す。その天の河を背景に,5分に1個くらい流れ星が流れる。
 この星空を期待して,今回わざわざ新月の日を選んでソン・コルに行ったのだけれど,その狙いは完璧に当たった。月がないので空が暗くて星が良く見える。季節的にも,ソン・コルの短い夏の真っ只中だったこともあり,夜は以前ほど寒くなかった。おかげで30分以上ずっと外に出て星空を楽しむことができた。

 想像以上に頻繁に流れる流れ星を見ていると,宇宙が自分の意識を超えたスケールでダイナミックに動いているということを感じずにはいられなかった。その巨大な宇宙の中には銀河系という一つのありふれた銀河があり,その銀河系を構成する無数の星の中に太陽があり,太陽系の数ある惑星の中に地球があり,地球上の数知れない生物の中に人間という一つの種があり,60億という膨大な数の人間の中に一人の自分がいる…


 星空に思いを馳せながら眠りについた翌朝,夜明け前に起き出した。広く冷たく静まり返った空気の中,一人で眺め渡す風景もまた美しい。
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 朝と共に美しい表情を見せてくれるのが,日が沈む前の1時間ほどの時間だ。影が長くなるにつれて光の色合いも変化し,静かに,かつ壮大に,その印象を変化させる。
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 今回は,泊まっているユルタからかなり遠出してみた。今まで気付かなかったところに美しい風景があったりして,何度行っても新しい発見がある。訪れるたびにますますソン・コルに惹かれていく自分がいる。
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 ソン・コル周辺の草原は相変わらず鮮やかな緑色に輝いていたけれど,1ヶ月前に比べると少し秋の色を帯びつつあるようだった。もうすぐソン・コルの短い夏が終わろうとしている。
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 ソン・コルのあとは,もう少しキルギスの奥の地域まで行こうと思っていたけれど,余りにも美しすぎるソン・コルに満足してしまい,先へ進もうという気持ちを失ってしまった。ソン・コルの夏とともに,僕のキルギスの旅も終わろうとしているのをふと感じた。

 ビシュケクに戻ってくると,ここでも朝晩の気温が目に見えて下がってきた。どうやらキルギス全体が秋を迎えようとしているらしい。キルギスは夏が旅行シーズンなのだけれど,その夏が終わると今度は隣国ウズベキスタンが旅の季節を迎える。

 ビザが取れたら,次はウズベクだ。
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by Asirope2 | 2007-08-17 17:36 | キルギス

ビザを待つ日々

 オシュからビシュケクに帰ってきて,本格的にビザ申請を始めた。まず手始めに行ったのがタジキスタン大使館。タジキスタンってどこ?と思う人も多いだろうけど,キルギスの南にある山国だ。ここのビザ取得は簡単。朝一番に申請に行けばその日の夕方にはビザがもらえる。
 ちなみに手数料は10$(アメリカドル)だけど,これが欧米人だともっと高い。キルギスだって日本人はビザ不要だけれど,欧米人は40$くらい払ってビザを取っているそうだ。実は日本のパスポートは世界最強で,本当にたくさんの国でビザが不要だったり安価に取れる。これには欧米人も驚くほどで,先人が築き上げた日本ブランドはかくも強い。我々旅行者にはこのブランドを守る義務があるのだ。

 タジキスタンのビザは簡単に取れたけど,問題はウズベキスタンのビザ。特にここビシュケクでの申請は,周辺諸国の中でもかなり手間と時間がかかる。
 まず,ウズベキスタン大使館に電話して,ビザ申請の予約をしないといけない。当然ロシア語で電話しないといけないので,ここは宿のオーナーの奥さん(キルギス人)にお願いする。僕の場合は,電話をした2日後に来るように指定された。

 さてその申請当日。申請用紙は既に宿でもらっていたので記入済み。これを持って開館前に大使館へ移動した。門番が予約者リストを持っていて,時間が来ると適当な順番で大使館に入れてくれる。
 窓口では申請用紙を提出し,簡単な質問に答えて終わり。その場でパスポートを提出する必要はなく,後日あらためてビザが発給されるので,そのときにまた大使館に来てパスポートを渡すという段取りになる。

 問題はこの「後日」が一体いつになるのかという点。この日程はこちらに選択権はなく,大使館側から一方的に通告される。たいてい1週間後くらいを指定されるのだけれど,なんと僕が指定されたのは12日後。ビザ申請書に書いていたウズベキスタンへの入国予定日じゃないか・・・
 ちなみに一緒に行った別の日本人旅行者は,入国予定日よりも1週間も遅い日を受領日に指定されていた。さすが旧ソ連の国。


 いま泊まっているサクラゲストハウスには,こんな調子でビザ発給を待っている宿泊客がゴロゴロいる。ぼくもその中の一人だったけれど,さすがに12日もだらだらしていられないので,キルギス周遊の第二弾に出発することにした。

 また1週間から10日ほど,ブログの更新が止まります。
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by Asirope2 | 2007-08-10 14:28 | キルギス

キルギス周遊(4)~ 多民族都市オシュ

 オシュはキルギスではビシュケクに次ぐ第二の都市で,キルギス南部では最大の街だ。もっともビシュケクとオシュの間は車で12時間ほど(冬場は更に時間がかかる)と距離的に離れているばかりではなく,間に山地があるために地理的・文化的にも距離がある。
 オシュに着いてまず驚いたのが,人の顔の多様さだった。キルギス系,ロシア系の人達はもちろんいるけれど,フェルガナ盆地に近いここではイラン的な顔立ちのウズベク系の人達も多い。僕はタジキスタンに行っていないのでよくわからないけれど,南からはタジク系の人達も入ってきているのではないだろうか。オシュはまさに中央アジア的な,諸民族の入り混じった多彩で複雑な表情を持っていた。

 ビシュケクからここまでは日本人旅行者のユリさんと一緒に移動してきたけれど,彼女ともここオシュでお別れ。オシュに着いた翌朝早く,彼女は隣国ウズベキスタンへ移動していった。これまでに訪問した国の数が120に達するという彼女からは,並の旅行者とは次元の異なる視点の話を聞かせてもらえて楽しかった。旅をしていると本当に色々な人に出会うものだ。旅の出会いは一期一会。でもそういう出会いの一つひとつが,旅をどんどん豊かにしてくれる。


 オシュは南北に長く,東西には細い街だ。この街の中心付近に,スレイマン山という山がある。
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 ここは歴史的に地元の信仰の対象として崇められてきたという。街なかからも行きやすいので,ある朝ここに登ってみた。高さは250メートルほどらしく,頂上まで何百段かの階段を登る。朝の爽やかな空気の中ではこれも心地よい運動だった。
 さすがに頂上に着くころには少し汗をかいたけれど,そこからの眺めはなかなかのものだった。特に南のタジキスタンの方角には,オシュの街並の遥か向こうに“世界の屋根”パミール高原の山々が連なっているのが見えた。
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 更にスレイマン山頂を越えて進むと,何やら奇抜なデザインの博物館が見えてきた。
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 朝早かったせいか,残念ながら僕が行ったときには閉まっていたけれど。



 オシュの街には非常に規模の大きなバザールがある。とにかく広い。売られているものは食料品から衣類,雑貨など,それこそ生活必需品全般に渡る。一応,野菜なら野菜,衣類なら衣類と,同じ種類の商品を売る店が同じ場所に固まってはいるけれど,果物屋の隣に突然一軒だけ雑貨屋があったりもして,そういう部分的な無秩序さがバザールの生活感を更に一層豊かなものにしている。
 ビシュケクのバザールではそこに並ぶ肉の塊や野菜の豊富さを楽しんでいたけれど,僕はここではむしろ,集まってくる人々の多彩さに興味を持った。ビシュケクと同じ国にある街とは思えないほど,人々の顔立ちが違っていた。
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 違うのは顔だけではなく,人々の服装も違う。女性は色鮮やかな衣服を身に纏い,頭をスカーフで覆っていることが多い。男性も,キルギス北部でよく見たカルパック帽ではなく,小さくて丸いイスラム帽をかぶっている人の姿が急に増えた。


 バザールの向かいに小さな公園がある。ここにも様々な顔の人達がいて,それぞれにゆっくりと時間を楽しんでいた。
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 このオシュの街に来て,急に僕は自分が小さな場所に閉じこもっていたのではないかと思い始めた。せっかく中央アジアに来ているのに,もっと多彩な世界があるのを見逃しているんじゃないだろうか。初めの計画ではキルギスをじっくりと長く見て,最後にちょっとだけウズベキスタンを見て終わろうと思っていた。でも,次第にウズベキスタンに早く行きたいという気持ちが強くなってきた。
 ウズベキスタンに行くにはビシュケクでのビザ申請が必要で,その申請には時間が掛かる。キルギスの他の場所もちゃんと見て,その上で早めにウズベキスタンに移動するにはどうしたらいいか。時間を有効に使わなければ。

 カレンダーを見ながら色々考えて,ここで一度ビシュケクに戻ることに決めた。
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by Asirope2 | 2007-08-05 18:13 | キルギス

キルギス周遊(3)~ アルスランバブ

 一泊するつもりだったサル・チェレック湖で泊まれず,予定より一日早くジャララバードへ移動したので,少し寄り道することにした。行き先はアルスランバブという街。高い山の麓の避暑地で,ウズベク系住民の多いところだという。ジャララバードからはバスとタクシーを乗り継いで行った。

 避暑地というので静かで落ち着いた場所を想像していたのだけれど,実際に行ってみたアルスランバブの街は地元の家族連れがピクニックを楽しむような場所だった。広場にはプールやバスケットコートがあり,土産物屋やレストランがたくさんあった。楽しみにしていた山は残念ながら雲に隠れてしまって見えなかった。
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 少し歩くと素朴な風景もある。
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 近くには滝もあり,中には滝壺に入って嬉しそうにずぶ濡れになっている人もいた。
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 ここはウズベク系住民の街というだけあって,人々の顔立ちも違えばかぶっている帽子の形も違う。イスラム色も強いようで,写真を撮っていいかと聞くと恥ずかしがって断る人が多かった。

 お昼ごはんはチャイハナという,中央アジアの伝統的なカフェで食べた。椅子ともテーブルともつかない高床式の座敷に腰掛けて,みんなくつろいでいた。
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 ここは中央アジアの民族の豊かさを実感できる場所で意外に楽しめた。昼ごはんを食べた後は一度ジャララバードに戻り,そのままバスを乗り継いで次の目的地オシュに移動した。
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by Asirope2 | 2007-08-05 18:03 | キルギス

キルギス周遊(2)~ サル・チェレックの人々

 カラコルで一泊した翌朝,早めに宿を出てこの日の目的地であるサル・チェレック湖へ向かうことにした。近くのカフェで朝食を摂り,いざ出発。
 街を出るとすぐに,道沿いに神秘的な紺碧のダム湖が見えてきた。もともとは恐らく山と山の間の谷を流れる小さな川に過ぎなかったのが,下流にダムができて今の姿になっているようだった。名前があるのかどうかも分からないような小さな人造湖だけれど,光の角度によって様々に色合いを変える。湖面は鏡のように周囲の景色を映し出していて,それがまた色彩の変化を多様にしている。
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 早速の美しい風景を楽しみながら先へ進む。途中,ミレーの絵に出てきそうな田園風景も現れてきて飽きることがない。
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 ちょうどお昼頃に,車は目的地のサル・チェレック湖の入り口に着いた。ここは国立公園になっているので,入場ゲートでお金を払って更に中へ進む。実際に湖があるのは,ゲートからもうしばらく進んだところだ。

 未舗装で石ころだらけの道を,タクシーはガタガタと大きく揺れながら走る。車の周囲ではもうもうと砂煙が舞い上がり,車の中にも入り込んでくる。そのうち余りにも車内の砂煙がひどくなってきたので,おかしいなと思いながらふと後ろを振り向くと,ワゴンタイプになっている車の後部の,荷物入れのところのドアが開いていた。
 このドアが開いているせいで砂煙が入っていたのか,と納得しかけたところで,ふと目の前の光景に違和感を覚えた。そしてその違和感の正体に気付いた瞬間,僕の目が点になった。そこにあるはずの僕のバックパックが,影も形もなくなっていたのだった。

 一瞬あせった。ドアが開いていたので,車が跳ねたときに落ちたのは間違いない。急いで車を停めてもらい,Uターン。もと来た道を逆に辿っていった。幸いなことにサル・チェレックはかなりの山奥にあるため,ここへ来る人はほとんどおらず,車もめったに通らない。案の定,5分ほど戻ったところで僕のバックパックが無様にゴロンと転がっているのが見つかった。
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 バックパックを無事に回収すると,車の後部ドアをしっかりと閉めなおして,改めて湖へ出発。20分ほどで,遂にサル・チェレック湖が僕たちの前にその姿を現した。
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 残念ながら少し雲と風が出てきたため,ベストの状態とは言えなかったけれど,それでも静かにひっそりと佇む湖は美しかった。華麗さはないけれど,ほとんど観光客も来ることのない湖は素朴な美しさを保っていた。そして,その水の透明なこと!
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 ここに来ればユルタやホテルが簡単に見つかると聞いていたので,予定ではここに1泊するつもりだった。ところが実際に来てみると,宿どころかカフェすら見あたらない。ご飯が食べられそうなところを,お腹を空かせて探し回るけど見つからない。途方に暮れながらこの日のお昼ご飯が抜きになるのを覚悟し始めたとき,近くにいた現地人のグループの中から一人のロシア人女性が英語で話し掛けてきた。

 この女性はロシア系キルギス人で,カミラさんという人だった。仕事は化学者だそうで,なるほどと思わせるような丁寧で理知的な英語を話す人だった。彼女のご主人がキルギス系キルギス人で,そのご主人の一族に会うためにサル・チェレックへ来ていたとのことだった。そして親切にも,今から宴会が始まるのでよければあなたたちを食事に招待したい,と申し出てくれた。

 こっちも困り果てていたのでこの申し出はとてもありがたかった。日本ではこういう場面で浅ましく食事をさせてもらうのは品がないとか図々しいと言われるかもしれないけれど,海外では招待を断る方が失礼な場合もある。自分にそう言い訳しながら,あつかましく食事をご一緒させて頂くことにした。その場にいた他の人達も,突然加わった僕たちを快く迎え入れてくれた。

 そのうち,大皿に羊と野菜の煮物が出てきた。これがとてもおいしい。パンや果物もいくらでもすすめてくれる。調子に乗って食べているうちにすぐにお腹が一杯になった。
 やがて食事も終わる頃,カミラさんから衝撃の一言が発せられた。「この食事は最初のコースです。少し間を空けて,2番目のコースが始まりますよ。」

 これはまずい。さっき調子に乗って目一杯食べたのを悔やんだけど後の祭り。どうしようもないので湖の周りで景色を眺めながらお腹が空くのを待った。グループの中にいたおじさんの一人は湖にザブザブと入って泳いでいる。このおじさん,御年82歳だと教えてくれた。水は結構冷たかったのに,本当に元気な人だった。

 1時間ほど経ったころ,次の食事が始まった。再び輪になった僕たちの前に出てきたのは,まさに伝統的キルギス料理とも言うべき,羊のフルコースだった。前菜はモツの塩茹でに玉ねぎのスライスを和えたもの。次に出てきたのは,羊の肝の塩茹でをスライスしたものに,塩茹での脂身を薄く切って乗せたもの。主食は羊肉の塩茹で。とにかく羊ばかり。遊牧民には贅沢なご馳走なのだろう。材料が新鮮なので,肉だけではなくモツも全く臭みがない。すすめられるままに,これまたたらふくご馳走になった。

 ただしこの食事の最中,グループの中にいたおじいさんの一人が,僕たちが日本人だと分かると興奮して話し始めた一幕があった。このおじいさん,かつてソ連軍の兵士として旧満州付近に出征していたということだった。ウォッカの酔いも手伝っておじいさんは相当興奮していた。カミラさんも通訳に困っていた。周囲の人たちがおじいさんをなだめるうちに,おじいさんは酔いつぶれて寝てしまった。
 別におじいさんが悪いわけではない。兵士として,彼は仲間が日本軍に殺される場面だって見ていたのかもしれない。戦争が人の心に深い傷を負わせた一つの例なのだと思う。
 この日のこの出来事は,僕の心に一本の棘(とげ)のように残った。


 このままサル・チェレックの畔に泊まりたかったけれど,数少ない宿はもう空き部屋がないということだった。短時間の訪問ながら深く印象に残ったサル・チェレックを後にして,次の街ジャララバードまで移動することにした。移動の途中,何という場所かは知らないけれど,夕暮れが美しかった。
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 夜11時ごろに,ようやくジャララバードに到着した。
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by Asirope2 | 2007-08-05 17:54 | キルギス

キルギス周遊(1)~ 出発,また出発

 去年キルギスに来たときは完全にサクラゲストハウスに沈没していたので,今年はしっかり出歩こうと思っていた。ところが,最初すぐにソン・コルに行った後は,結局サクラに居座ってしまった。気がつくと2週間まったく何もしていない。いったい僕は何をやってるんだ。これではいけないと天候が安定するのを見計らって重い腰を上げ,キルギス周遊の小旅行に出発した。
 ちなみに今回の周遊旅行,序盤は同行者がいる。サクラに泊まっていた日本人旅行者のユリさんという,ヨーロッパ在住,才色兼備のスーパーレディーだ。ユリさんとは途中までの道程が同じで,無理矢理(?)誘って途中まで一緒に行くことになった。

 出発当日は天気も上々,サクラで仲良くなったみんなとの記念撮影の後,門で見送られながら宿を後にした。キルギスを一周して戻ってくる頃には彼らはみんな別の場所へ移動しているはずで,ここで再び出会うことはもうないだろう。
 宿からはバスターミナルへ移動して乗合いのミニバンに乗った。目指すはキルギス中西部の山間にあるトクトグルという小さな街だ。ミニバンは快調にビシュケクを出発してトクトグルに向かった,と思いきや,ビシュケク市内のとあるバザールでしばし停車。満員の車内に更に客を積み増して,ようやくビシュケク市内を出た。

 途中何度か休憩を挟んで,ミニバンはとある集落を通り抜けた。進行方向には高い山々が連なり,その頂は雪に覆われている。天気がいいので青空に雪山がよく映える。この日のルートの目玉であるチョル・アシュー峠越えは標高3200メートルの地点を通る。あの山々のどこかにその峠があるのだろうと思っているうちに,車は減速し,そのまま道路脇に停止してしまった。集落の出口で警察の検問があり,他の車とともに我らがミニバンも停車させられたのだった。

 初めは検問なんてすぐに通過できるものと思っていたけれど,しばらくするうちにドライバーがパトカーの中へ連れ込まれてしまった。免許証がなかったのか,はたまた営業許可証を取っていなかったのか,詳しい事情はわからなかったけれど,とにかく何か問題があったのは確かなようだった。
 他の車は普通に免許証を見せて通過していくのに,僕らのドライバーは30分以上経っても戻ってこなかった。やっと戻ってきて車のエンジンをかけたと思ったら,なんと彼はもと来た道へ車を返し始めたのだった。どうやら,この先へ進むことは許可されなかったようで,他の客も全員どうすることもできないまま,ミニバンはビシュケクへ戻り始めた。
 交通量の少ない小さな集落だったので別の車を拾うこともできず,やむなくビシュケクへ戻る以外に選択肢はなかった。
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 他の宿泊客と記念撮影をし,握手を交わし,門の外まで見送られて出発したサクラゲストハウスに,その日のうちに戻ったときの気分をなんと言い表せばいいだろうか。ちょっと照れくさくて,でもみんなの驚く顔も楽しみな,そんな気持ちで再びサクラの門をくぐり,もう会うことのないはずの仲間たちにあっけなく再会。案の定,みんな呆気に取られた顔でこっちを見ているのが可笑しかったけれど,さすがにぐったりと疲れも感じた。サクラのオーナーからは,そんな事情で戻ってくるのは前代未聞ですよと言われてしまった。


 一夜明けて翌日,今度こそ戻ってくるなよというみんなの声を背に,再びバスターミナルへ向かった。この日は後の行程を考えて,前日の目的地の少し先の街まで行くことにした。乗合いタクシーと面倒な値段交渉を終え(ただし積極的な性格のユリさんが交渉してくれたので,交渉下手の僕は見てただけ),いよいよ出発。この日は寄り道もなくビシュケクをすぐに出た。

 前日の検問エリアには,この日は警官はいなかった。難なくそこを通過し,いよいよ車は山の方へ突っ込んでいく。次第に高度を上げながら曲がりくねった道を進むにつれて,周囲の景色もダイナミックに変化していった。
 最初のうちは山があり,川があり,草地にところどころ林があったのが,標高が上がるにつれて木がまばらになっていく。草地に咲いている花の種類も変わっていくので色彩が変化する。山自体も形や日の当たり具合で印象が変わるので,見ていて飽きることがない。どんどんと走り続けるうちに,遂に最高地点であるテョル・アシュー峠に到達した。ここの標高は3200メートル。峠本来の最高地点は3500メートルを越えるけれど,全長2kmほどのトンネルが掘られていて,実際に通る道の最高高度は低くなっているのだ。
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 トンネルを通り抜けると,一気に目の前に広大な景色が広がって思わず声を上げてしまった。視界一杯に広がる平原の向こうに,遠く小さく雪をかぶった高山が連なる。ソン・コル一帯の景色から湖をなくして草原だけにし,広さを百倍にも千倍にも拡大したような景色だった。何よりも天気がよく,鮮やかな空の青と草原の緑の間に,白い雪山が並ぶ色彩のコントラストが素晴らしかった。

 車はその草原の中をひた走る。ところどころにユルタが組まれ,馬や牛,羊が放牧されている。余りにも美しい景色が延々と,自然の風景が好きな僕でも飽きてしまうくらいに,どこまでもいつまでも続く。色の組み合わせは青と白と緑と茶色,単純なのに鮮烈。
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 夕日が地平線に近付く頃,車はトクトグルの街を通過した。そしてその先に,人造の貯水池であるトクトグル湖が見えてきた。この日は風がなく湖面は鏡のように穏やかだったので,夕日に照らされた山々が湖面に映り込んで美しい。ところどころで車を停めてもらい,景色を堪能した。
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 トクトグルを過ぎるとちょうど日も沈み,空が暗くなりかけた頃に目的地のカラコルという街に到着した。
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by Asirope2 | 2007-08-05 17:26 | キルギス

お知らせ

 ビシュケクに沈没し続けるのも飽きてきたので,明日からキルギス国内をぐるっと一周してきます。ビシュケクに戻ってくるのは10日ほど後の予定で,遅くとも2週間で戻ってきます。それまではインターネットが使えず,記事の更新が止まる可能性がかなり高いと思いますので,当面は記事更新をお休みします。戻ってきてからの記事をお楽しみに!

IBA@ビシュケク
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by Asirope2 | 2007-07-28 19:03 | キルギス