ホラズムのオアシス

 ここに何泊しますか,と聞かれて,僕はためらうことなく4泊と答えた。それを聞いた宿の人は僕からパスポートを受け取ると,宿帳を記入しに行った。4泊というのは,スケジュール上僕がこの街に滞在できる最大の日数だ。街に到着して間もないのに,もうそのくらい僕はこの街に魅了されていた。
 ブハラから乗ってきたタクシーを降りて,最初に出会った子供たちの表情が素晴らしかった。目に入った旧市街の街並みや,旧市街を囲む城壁が作り出す風景も良かった。そして何より,街をゆったりと包み込む空気に,僕はここヒヴァの街が以前から思い描いていた通り,中世の雰囲気を色濃く残した場所であることを直感した。
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 ヒヴァの街はブハラから更に西へ500km,ホラズム地方と呼ばれるアムダリヤ川下流域のオアシス都市だ。ガイドブックによれば,この場所には16世紀にヒヴァ・ハーン国の都が置かれたのだそうだ。ただし当時の街の規模自体は非常に小さく,18世紀になってロシアとの交易で街が栄えるようになってから競うようにモスクやマドラサが建設されたという。
 その当時の建築物は極めて小さな旧市街に集中していて,その周囲に大きな新市街が広がる。街の近代化も新市街側で行われ,旧市街はそっくりそのまま昔の姿を保っているそうだ。ソ連時代からヒヴァの旧市街は“博物館都市”として保存され,現在ではユネスコの世界遺産にも登録されている。


 ヒヴァに着いたのが夕方も遅い時間だったので,この日は夜に少し出歩いて街の風景をざっと眺めただけだったけど,それでもその風景はヒヴァの魅力を充分に期待させるものだった。改めて翌朝早く起き出して,いよいよヒヴァの街を本格的に歩き始めた。
 ヒヴァは日中の日差しは強烈だけれど,砂漠の乾燥気候のため朝晩はかなり冷え込む。まだ人気が少なく,静かでひんやりとした朝の空気の中を歩くのは心地いい。
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 少し歩くと,ヒヴァのシンボルとも言うべきカルタ・ミナールが見えてきた。
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 このミナレット(ミナール)は,19世紀に中央アジアで最も高いミナレットを目指して建設が始められたものの,工事途中でハーンが戦死したために,そこで建設が中止されてしまったのだという。ウズベキスタンでも有数の観光の目玉で,この国の絵葉書のセットを買うと,まず間違いなくこのミナレットの写真が含まれているはずだ。青いタイルで覆われたミナレットが昇ったばかりの朝日に赤く照らし出されて印象的だった。

 このカルタ・ミナールは旧市街の中心にあるので,一日に何度も目にすることになる。昼間の青空にも,青いミナレットはよく映える。工事が途中で終わってしまったために,その形は優美さより愛嬌を感じさせるけれど。
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 サマルカンドやブハラと同様,ここヒヴァにも数多くのマドラサ(神学校)が建設された。狭い旧市街にひしめき合うようにそれらのマドラサがあるけれど,建築自体には他の街のものと大きく異なる点はなく,見ていて目を引くようなものはない。むしろ個々の建築物の壮麗さという点ではサマルカンドやブハラの方が立派だ。
 そんな中で,信仰の中心的な場である金曜モスク(集団礼拝のためのモスク)はなかなか面白かった。外見も内装も華美さは全くないけれど,室内には精緻な彫刻の施された木の柱が立ち並び,静謐な空気で満たされていた。
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 このモスクにも高さ42mのミナレットがあり,そこに登ることができる。狭くて暗い階段を登ると,ヒヴァの旧市街と,その周囲に広がる新市街が一望の下に見渡せた。
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 この街では,旧市街全体が中世の面影を色濃く残している。古い建築物を見て回るよりも,僕は次第に街と人が作り出す風景の方に興味を持つようになっていった。ヒヴァには夏の青い空が良く似合う。その真っ青な空の下で井戸の水を汲む女性たち,古い建物の前を通る人々,マドラサ前の広場でサッカーに夢中になっている子供たち。ヒヴァの街並みは古いけれど,この街には今もまだ人々の生活感が,深呼吸にようにゆっくりと深く息づいているのだった。
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by Asirope2 | 2007-09-13 19:48 | ウズベキスタン
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