悠久トルファン

 ピシャンからトルファンに着いて最初の印象は,「暑い」の一言に尽きた。「火州」の異名を持つトルファンの夏は中国で一番暑いと言われていて,50℃という気温を記録したこともあるという。敦煌の莫高窟を見に行ったときも,この後トルファンに行くとガイドのお姉さんに言うと,「昨日のトルファンは48℃まで上がったそうですよ」と言われて絶句してしまった。僕が着いた日も,明らかに40℃に達していた。
 しかしそのトルファンは,よく見てみるとただ暑いだけではなく,中国文化とウイグル文化,更には西方の諸文化と歴史の交錯する,魅力的な街だった。

 トルファンの街を歩いていてまず気付くのは,ウイグル人の多さだ。ウイグル自治区なんだから当り前といえば当り前なのだけれど,西域とはいえ甘粛省の敦煌がほぼ漢人の街と言っていいのに比べ,ここまで来ると西アジア系の彫りの深い顔立ちの人々が通りを行き交い,ここがまだ中国だということが不思議な感じがするくらいだ。バザールなどを見ているとむしろ,去年行った中央アジアのキルギスを思い出す。

 ここトルファンでは葡萄の栽培が盛んで,街なかにも葡萄棚がアーケードのように通りを覆っている場所がある。僕はトルファンに来たら名産の葡萄を楽しもうと思っていたのだけれど,残念ながらまだ少し時期が早いらしく,店先には出回っていない。そのかわり葡萄棚には,若々しい緑色のたくさんの房がぶら下がっていて,見ていて爽やかな気分になる。
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 この辺りでは取れた葡萄はそのまま食べるほか,干しブドウにしたりワインを造ったりするそうだ。トルファンのワインは歴史が古い。唐の時代には既に作られていたらしく,唐がこのトルファン盆地にあった高昌国を併合したときに初めて中華世界に伝えられたという。そしてそれが後に,王翰の有名な涼州詩を生んだ。

“葡萄の美酒 夜光の杯
 飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
 酔うて沙上に臥すとも 君笑うこと莫れ
 古来征戦 幾人か回(かえ)る”

 これほど異国情緒に満ち,切実で,しかも華麗な詩はほかにないだろう。僕はこの詩が好きで,敦煌の土産物屋で夜光杯を買っていた。あとはトルファンで“葡萄の美酒”を買って,その夜光杯で飲もうと思っている。普段僕はお土産に何かを買うということはしないのだけれど,これだけは西域へ来るささやかな楽しみの一つだった。


 ただしワインが目的でトルファンに来る人は余りいないだろう。ここトルファンには,なかなか興味深い場所がいくつかある。その中でも最も有名なのは,何といっても火焔山だろう。西遊記の中で玄奘一行が火の山に出会って行く手を阻まれる。孫悟空の活躍で牛魔王から芭蕉扇を手に入れ,風を起こして山の火を消して,ようやく一行が山を越えることができた,という場面がある。
 これはもちろん作り話だけれど,トルファンにある火焔山はそのモデルになったといわれている。確かにこの暑さの中で火が燃えているような山肌を見ると,そういう話ができても不思議はない。
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 この火焔山はところどころ川が横切っている。
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 その川沿いに上っていくと,ベゼクリク千仏洞という遺跡がある。敦煌の莫高窟と同じく,山肌に開鑿された仏洞だ。これらの仏洞を作ったのは,イスラム化する前に仏教を信奉していたウイグル人ということだった。
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 残念ながら,ここベゼクリクの仏洞の壁画は損傷が著しい。砂に埋もれて長く忘れ去られ,そのお陰で荒廃を免れた敦煌石窟とは違い,ここトルファンでは常に人々の生活があった。ウイグル人がイスラム化したときに,偶像崇拝を嫌うイスラム教徒が仏洞の多くを破壊したという。でもガイドの話では,ベゼクリクの壁画が失われた原因はそれだけではないという。

 敦煌石窟の膨大な文書が,イギリス人やフランス人,日本人などの探検家によって持ち出されたように,ここベゼクリクでも貴重な壁画がドイツ人探検家によって切り出され,ドイツへと運ばれたという。それがそのままであればドイツの博物館で大切に保管されただろうけれど,残念ながら第二次大戦中の爆撃で貴重な壁画は失われてしまった。
 そして,わずかにベゼクリクに残された壁画も,文化大革命の際に,宗教を嫌う中国共産党の手で壊滅的な被害を蒙った。仏像は爆薬で破砕され,壁画に描かれた仏陀や菩薩などは,その顔の部分を削り取られてしまった。かつては鮮やかであっただろう壁画の,もはや痕跡とも残骸ともつかないものを見ていると心が痛んだ。

 今は訪れるものの少ない静かなベゼクリク千仏洞で風のそよぐ音を聞いていると,しかし,昔日の賑わいが鮮やかに思い浮かんできた。袈裟を着た何人もの僧侶たちが,日中でも涼しい石窟の中で経典を研究し,あるいは仏教談義にふける。その彼らの周囲を,色鮮やかな絢爛たる壁画が囲んでいる。陽の光は今と同じように明るく,木々の緑が盛んな中を川が水面をキラキラと輝かせながら流れ,爽やかな風がそこを吹き抜ける。工人や彫刻家,画家といった人々が集まって新しいを石窟をつくり,現世に極楽浄土を創り出そうとしている。
 落ち着いた中にも華やかさと活気のある,1500年前の風景が蘇ってくるようだった。
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 遠い歴史の彼方に思いを残しながら次に向かったのは,ベゼクリクより更に古い,交河故城というところだ。ここは遥かに紀元前まで,その起源を辿ることができる。かつて入り口の門だった岩は,今はもう風化が進んで穴の開いたただの岩くれにしか見えない。
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 ここ交河故城は,岩場の上に石やレンガを積み上げたのではなく,その岩場自体を削って下向きに空間を作っていった場所なのだそうだ。はじめは車師(しゃし)族という民族がここを拠点とし,後の漢や唐の時代には,中国の王朝が西域の拠点としたこともあったという。
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 古い井戸の跡もあった。今は乾いて強烈な日光にさらされたここも,昔は人々が集まって井戸端会議に夢中になっていたのだろうか。
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 ここも昔を偲ぶには絶好の場所だったけれど,昼近くなってあまりにも暑くなってきたので早々に引き上げた。トルファンでは夏場に外を歩き回れるのは早朝と夕方くらいだ。観光は時間との勝負でもあるのだった。
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by Asirope2 | 2007-06-30 13:01 | 中国
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